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劇団木馬座の思い出 ブログトップ
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『ピノッキオ』主題歌 [劇団木馬座の思い出]


劇団木馬座の頁を更新していなかったため、何度も更新するように案内がきた。ネタがなくなってきているため、音楽の更新は難しくなっている。
やむを得ず、とりあえず記憶している『ピノッキオ』の主題歌を録音し、写真と合わせてMovieMakerでビデオを作成する。

※youtubeは、画像が悪かった為、6/10に改めて写真を取り直し、差し替えました。
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劇団木馬座2018年クリスマスパーティ [劇団木馬座の思い出]

 昨日、12月16日(日)は、劇団木馬座クリスマスパーティに夫婦で久しぶりに参加した。前回行った時には会うことができなかった人にも会えて、いくつも知らなかった話を聞くことが出来た。
DSCN4196.JPG 何よりもおどろいたのはKさんが、私が知っている頃は営業や事務系の仕事をしていたのだったが、その後会社の会社更生法適用申請、再生、再び倒産時に在職していたり、劇団四季の大道具として働いたりして、合計20年も舞台関係の仕事に従事していたと言う事実だった。私は足掛け6年いたに過ぎない。既に著書が3冊(「学校オペレッタの舞台装置」音楽の友社刊、「わくわくレクプログラム集」日総研出版ほか)もあるとのことだった。ネットで検索してみると何と「平成21年度第3回「山村力コンクール(林野庁)」木製福祉遊具立松和平審査委員会長賞受賞」という賞まで受賞。素晴らしい。
 また、NさんもKさんと同様の仕事をしていたのだったが、スチール写真の撮影、舞台関係の制作総指揮、制作顧問などをしている。昨日は横浜で仕事をしていた舞台監督Fさんは、結局間に合わず来られなかった。
 伝統ある高津小道具で働いているNEさん、龍作BANDの一人として活躍しているNAさん。他の皆さんには話す機会がなく、お話を伺うことが出来ず残念だった。すっかりと引退したと仰っていたHさんは、始終にこにこしていて空気が和んだ。
 Hさん以外は皆現役で働いている。NHさんも、児童劇団の役者として舞台にでている。SYさんは、バレエをやっている。OYさんは、年齢を重ねてとても素敵な女性になっていた。高名な元タカラジェンヌに歌を習っていて、歌を歌っているらしい。木馬座の後、寺山修司の天井桟敷に行ったTKさん。寺山修司の話、天井桟敷の話聞きたかったけれど・・・時間が足りなかったかもしれない。また、別の機会に、皆さんのお話を聞きたいと思う。

いつも場所やお食事をご準備してくださるYさんNさん、有難うございます。
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劇団木馬座『ねむり姫』より「今ここに喜びが・・・」の歌 [劇団木馬座の思い出]



 この曲はこの芝居の最初の方に出てくる、ねむり姫誕生の歌。厳かな雰囲気の曲で、比較的重厚感のある舞台によく合っている曲だった。今回は、弦楽を中心にリズムを刻み、主旋律を木管楽器にしてみた。
実際の曲では、「今、ここに喜びが、今ここに幸せが、・・・・讃えよ、讃えよ、お姫様(と言うような歌詞)」合唱がある。上演台本があれば、もう少し思い出すことができるが、パンフレットしかないので、このくらいになってしまうのが残念である。
 もう一曲動画にしようと思いついた曲があるが、それは「ねむり姫の主題歌」を基にしたワルツである。舞台の中では、宮廷の人々が踊っている後半の方に、後で魔女が登場する予兆のようなものをこのワルツの後半に入れていたような気がするのだが、それも確かではない。この主題曲を元に、他の場面の背景音楽にすると言う方法は、実はこの「ねむり姫」で学んだ。ギニョールの人形劇『ヘンゼルとグレーテル』の曲を書く時に、この方法を使い、ヘンゼルとグレーテルが留守の最中に遊んで踊る曲を書いた。
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劇団木馬座 『スサノオのぼうけん』 [劇団木馬座の思い出]


長いこと気になっていた、『スサノオのぼうけん』の主題歌。残念ながら正確に覚えていないので、本当に記憶だけが頼りで再現、しかも編曲しているので、原曲を知っている人々、レコードを持っている人がいれば顔を顰めるかもしれない。御寛恕のほど。
 私は、この年は『はくちょうのみずうみ』班で、八王子市民会館だったかで公演した後は、関西公演となり、『スサノオのぼうけん』は江東公会堂での舞台稽古に本の少し立ち会っただけ。駒宮録郎の美術が美しかったのを覚えている。同期に入社したO氏が一枚描いたヤマタノオロチの場面のバックドロップも素晴らしかった。
 映像の中にある彫刻のようなタッチで描かれた挿絵は、Hさんの作品。彼は木馬座を退職後、劇団四季の大道具方として働いていたが、横須賀の方でバイクを運転中、逆走してきた米軍兵の車に衝突して若くして亡くなってしまった。葬儀には浅利慶太氏も来ていた。
 あまりの不評で、上演回数が殆どないまま、お蔵入りになった作品であったが、演出家、脚本家、美術家、音楽家いずれも著名人を擁していた。
 村人たちが最後に歌う歌は、断片的にしか思い出せないのは、上演に携わっておらず、曲に接する機会が殆どなかったためであり、綺麗な合唱曲だったので非常に残念である。
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Cinderella より『しろいはと』 [劇団木馬座の思い出]



覚えているうちに、音にしておこうと考え、昨日夜書き始め、本日完成。原曲は女声が可憐な声で歌う美しい場面であるが、それは映像も写真もないので、再現できないのが残念。
シンデレラの仮面を作ったのは、私の入社と同時に退職したF氏。彼は、眠り姫の仮面も作った、と聞いている。

作詞
稲坂 良弘/黒河 乙郎

しろい はとは かわいいてんし
しあわせを はこんでくれる
しろい はとよ おそらへ
そっと とんで
おかえりなさい
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The Little Mermaid 人魚姫 主題歌 [劇団木馬座の思い出]


1978年夏の再演(仮面、小道具の一部作りなおし)『人魚姫』。渋谷にあった東横ホールの舞台を思い出す。舞台最前面に吊り下げられた紗幕が、海底の雰囲気を作り出していた。
この時は、主役の仮面を作らせてもらう、と張り切っていた。人魚姫と王子の仮面を制作。
映像の途中に出てくる舞台写真は、初演当時のもので、再演の時のものがないのが残念。美術の若菜珪さんの舞台美術とはだいぶ異なるものを作ってしまったが、舞台に遊びがあって、楽しかったのを覚えている。
この時、二本立て公演の一本目『ぶんぶく茶釜』の衣裳については、裏地の選択で社長に駄目だしを喰らい、作りなおしになった。これは大失敗でよい勉強になった。
もう一曲『私の夢の王子さま』という曲も映像にしてみたいのだが、曲の一部が思い出せない。

※今回は、久々にMovieMakerで作成してみるが、やはりMOVIE STUDIO14に慣れてしまったので、少々使い勝手が悪い。特に、サブタイトルの入れ方、音楽のフェード・イン/アウトの機能の有無。或いは、フォントの大きさ、設置場所など。やはり、相当の差がでてしまう。
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Youtube 『シンデレラ』より『ガラスのくつ』 [劇団木馬座の思い出]


20170817DSCN3555.JPGhttps://www.youtube.com/watch?v=1H_OEcSaLGo
『シンデレラ』の中で最も大切な小道具はガラスのくつ。その小さなくつを履いていたお姫様を探して、大臣と従者達は国中を巡ります。


だれが ぬいだの ガラスのくつ

どこへ 行ってしまったの

お姫様


遠い遠いところまで

さがしに行こう


歌詞:稲坂良弘・黒河乙郎 


左の場面は、二人の姉達が履けなかった小さなガラスの靴を履いたシンデレラが、舞踏会の衣裳を着た姿に変わった後。この変身の場面では、舞台が暗くなりストロボライトが点滅し、このシンデレラ姫が登場。

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劇団木馬座の思い出 補遺 『ピノッキオ』アルレッキーノ [劇団木馬座の思い出]

 arlecchino.jpg演出・振り付け小森先生の息子さんsamohanさんから頂いたDVDから、別の場面を紹介。入社して程なくして北海道・東北へ秋の旅公演に行ったのだったが、戻ってきてから直に冬の公演の準備が始まった。元制作助手だったMKさんが、『ピノッキオ』に出てくる人形劇の人形を全面的に作りなおすので、その絵を私に描いてみるように言った。私は人形と言ってもどのようなものを描けばよいか分からず、挿絵のようなものを描いた。藁半紙に赤と黒のボールペンで描いた。俳優座の養成所を出ていたMKさんは、それを見ると「あぁ、君は絵が描けるんだねぇ。」と言って感心していた。大学が文学部だったので、美大出身でもない私に絵の能力を期待していなかったのだろう。入社試験の時には、デッサンの提出も求められなかったし、そのような能力については一切質問されなかった。やはり、美術的技能は全く期待されていなかったのだろうと今になってみれば思う。むしろ、自分の観劇の思い出を文章にするという課題があったが、私は中学校一年生の時に劇団青年座によるシェークスピア『十二夜』を見た時の感動した経験をなんのためらいもなく、その感動を共有できなかった同級生達への皮肉も軽く入れて、すらすら書いた。その文章力、演劇に対する情熱が評価されたのかもしれなかった。
 結局、人形を作る時、私だけが左のような踊ることのできない人形を作ってしまった。
 とろこが、今回DVDを見ていて、作った当時の大きさ、動きは小森先生による演出、振り付けの大幅な変更によりすっかり変わっていることが分かった。  私が作ったものは、振り付けの牧?先生が、怒りながらも困っているらしいことを又聞きに聞いた。5体の人形で、一体だけが振付を付けられないのがいる!他の人形が踊っているのに、舞台をうろついている。何とかして欲しい。しかし、時間がない。作り直せない。そのような内容だった。結果的には、このままの動きになり、子供達の反応はよかったと聞いているのだが。人形の中に、何か異物のようなものがいて、目を引かれる、そんな話だった。
 アルレッキーノ.jpgそれが、ビデオを撮るに当って、5体から4体に数が減らされている。Oさんの作ったゲンコーノ、HTさんの作ったマルマチーノ、ODさんの作ったオチャコーノ、そして私の作ったアルレッキーノ。しかも、アルレッキーノがキャスターつき台に乗らずに自分の足で立っている!?最も背の低かったアルレッキーノが巨人のような大きさになっている。それが驚きだった。自分の足で立っているにしても、大きな頭の付いた棒を両手で持っていなければならないので、振り付けは相変わず難しいことには変わりなかったと思う。

※samohanさんからDVDを頂かなければ、自分の記憶の中だけの印象と、実際の人形とがどれくらい異なっているか比べることができなかったので、本当に嬉しく、有難く思っています。
 第二部に出てくるはずの、ブラックライトシアターでの孔雀が見られれば、と思ったりもしています。
ローラ.jpg
 P.S.(3/12日曜日)
何と、嬉しいことにsamohanさんが、DVDの映像をもっと鮮明に写真で撮って送ってくださったので、早速画像を交換。
 更に、ゼペット爺さんの仕事場の壁に掛けてある操り人形、ローラもこんなにはっきりと撮って頂きました。髪の毛の材料は麻。頭は発泡スチロールをカッターで削り、木工やすり、紙やすりなどで仕上げ、その上に木綿の布を貼り、着色。身長は60センチ以上ありました。ゼペットが後ろを向くと、人形達が踊りだすという演出でした。
samohanさん、有難うございました。


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劇団木馬座の思い出 補遺 [劇団木馬座の思い出]

 演出家の小森先生の息子さん、samohanさんに劇団木馬座が制作したビデオ、それをDVDにしたものを頂いたのだったが、その一部を写真としてご紹介したい。残念ながら静止画像にできないので、綺麗に撮影できなかったけれども。
mokubaza-pinocchio DSCN3197.JPG 入社した年の冬公演の上演作品は『ねむり姫』『シンデレラ』『ピノッキオ』に決まった。『ピノッキオ』については全て過去に上演したものが残っていたが、お面の一部、小道具の一部の制作、動物たちの大サーカスの出し物の全面的な作り直しが決まった。ピノッキオの仮面は私がほぼ土台を作り、最終的な仕上げをO氏が行った。ゼペット爺さんの仮面はO氏が制作したのだったが、制作者本人によく似ていると言われた。「Oちゃん、何、自分の顔作ってんの。」と制作室の先輩に言われていた。Oさんはピノッキオの頭髪を荒縄で作った。初演の時も頭髪は荒縄であったが、ずっと細い、高級な素材だった。同様の物が手配できなかったので、このような髪型になっている。写真で見る分にはよいが、動いている時にはもう少ししなやかな方がよかったかもしれない。
 嘘をつくと鼻が伸びる場面では、何か新しい工夫はないかと言われたが、素材その他の知識が不十分で、結局過去のものをそのまま使うことになった。バッテリーで動く自動車用アンテナのモーターを使ったので、面は結構重量があり、バッテリーを大道具の裏に置いてコードを繋いだりしたので、この場面のみの吹き替え用仮面ではあったが、演技に苦労していた。
 ちなみに、私が代案として考えたのは空気を送り込んで、鼻を伸ばす方法だった。が、よい素材が思いつかなかったので、頭の中だけの案になってしまった。
 今ならどうするか。恐らく、伸びる部分の鼻を軽い紙やビニールの筒にして、役者が息を吹き込んで鼻を伸ばす方式にするだろう。引っ込むのは最初から鼻の先頭にゴム紐を取り付けておいて動力にする。吹き込んだ空気が逆流しないように、弁が必要になるのと、そのラチェットのように一方向にのみ作動する弁の開放方法もなかなかむつかしい。それは紐か何かで、手で操作ができる。弁についた紐をゆっくりと引いて空気を徐々に開放すると、鼻が自然に元に戻るだろう・・・などと想像するのは、やはり今でも楽しい。
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劇団木馬座の思い出 補遺 [劇団木馬座の思い出]

 「劇団木馬座の思い出」は小説のようなものにしてみようと考えている。構想を練るのが楽しい。既に書き上げた文章は、約百ページほどあるが、更に追加しなければよく分からないと思われる部分もあるので、20行×40字で、百五十ページ以上になるかもしれない。時々、呆れられるのだが、どうして読まれないかもしれない文章を書くのか。自分の為、そうしなければいられないからそうするだけ、それだけのことなのだ。
 heidi & alm DSCN3194.JPG今日は、演出家・振付師小森安雄先生の息子さんから頂いたパンフレットから、2枚の写真を紹介したい。『はくちょうのみずうみ』の時には、伯爵の面を巡って、社長に対して大いに反発した私だったが、結果的に一から作りなおしたその面も褒められたのだから悪い経験ではなかった。むしろ、衝突することによって、他者の意見を知ることによって、より高次な行動ができることになるのだ、と今は思う。左の写真に写っている白髪の老人が私が作ったアルム爺さんである。この仮面を作ったのだが、兎に角頑固で、怖くて、自分自身の世界を譲らない人物、そんな思いを込めて作った。このアルム爺さんの初代を演じたのはT君だった。一度書いたとは思うが、彼の演技は形ばかりが目立った。演出家はそれほど強く言わなかった(駄目だしをしなかった)のだが、私は本番が始まってからも、彼の怒りの演技には表面的な演技しか感じられない、と執拗に舞台が終わると注文をつけた。何しろ台詞を読んだ声優の方々が、代表のSさんに怒られながら、指導されながら必死に録音したテープなのだから、それに見合った演技でなければならない。私のしつこさに流石に彼も腹を立てて、その怒りを怒りの演技にぶつけた。それが迫真の演技になっていたので、その公演後、すぐに「とてもよかった。」と彼に言った。彼も満足そうだった。後で本を読んだり、ビデオを見て知ったことだが、黒澤明監督や内田吐夢監督なども、俳優をぎりぎりまで追い込んで迫真の演技になったところを撮ったそうで、このやり方には一理あるのだろうと思う。俳優は一時的には犠牲者になるかもしれないが、それを乗り越えれば、より高次の演技をすることができるからである。『飢餓海峡』では伴淳三郎が名演技をしていると思ったが、そこに至るまでに監督に徹底的に演技を否定されたようである。その話を知り、なるほどと思った次第である。
heidi mokubaza DSCN3193.JPG もう一枚の写真は、山羊の白鳥さんと小熊さんが下手側に写っている。この白い方を私が作製した。演出家としては、本物の山羊に近い小道具が欲しかったのだが、私たちが作ったのは、キャスターのついた台に乗せた、脚や首が可動になっている山羊の作り物だった。静止画像には耐えるが、動画としては耐えない。
 演出家の考えはとてもよく分かるが、時間的制約もあり、どうしてよいか分からなかったので、O氏に相談し、このようなものを作ってしまった。今なら、体内にモーターを入れるなりして、ペーターやハイジが彼らを放っておいても自分で動いているような山羊を作るかもしれない。
 この作品の舞台美術(大道具)は長嶋社長のお嬢さんが担当した。絵を描くのがとても早い人で、バックドロップの為の絵、小道具に使った大きな絵本(1ページ3×6尺)なども短時間のうちに完成させていた。同じ、武蔵野美術大学油絵科出身のS君も、舌を巻いていた。「俺には、あんなに短時間で描けないな・・へへへ」と。
 ※この舞台写真のハイジはYさん、ペーターはNさん。Nさんはピーターパンの役、『スサノオのぼうけん』のスサノオ役他も担当。


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