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詩と思想 4月号-現代詩の新鋭 [日記・雑感]

20180407DSCN3822.JPG 今日は、少々遅くなったけれども『詩と思想 4』特集 現代詩の新鋭について。
 既に書いたことがあるが、従妹は詩を書いている。いくつかの賞を受賞しているのだが、彼女が今回新鋭の一人として紹介されることになった。そして、昨年11月頃だったと思うが、彼女から彼女の作品についての解説を書いて欲しい、と依頼されることになった。果たして、自分でよいのかと改めて尋ねたら、彼女としては私のような人間がよいらしいことが分かった。そういう新しい試みも含めての新鋭なのかなとも、推測している。
 私は、彼女の母親がとても印象的な人なので、その思い出を重ねながら、さっさと解説文を書き終えて、彼女に感想を求めた。その文章は彼女というの人の背景を紹介するようにしたのだが、それは方向性が違うので不要な情報なのだと言われた。むしろ『詩と思想』と言う詩の雑誌なので、詩的であった方がよく、彼女の詩作品についての解説が好いと言うことなのだった。そこで、今更ながら、彼女が書いてきた詩をデータで送ってもらった。それを製本したのが1月の記事である。 ”本の装釘をしてみる
 
(2018年4月号のpp34、35に彼女と私の文章がそれぞれ掲載されている。)


 彼女の書いた作品については、私の解釈が間違っていること(例えば、詩の中で描かれている父母と言うのは、実際の父母のことではない、などなど)も何回かあった。芸術作品は、書いた本人以外には誰にも分からないことが多いのではないかと考えている。そも、同じような体験、発想法、感性をもっていなければ、なかなか正確に読み解くことは難しい。それを読み解くことができるのは相当に感性が鋭い人ではないかと思う。
 私自身も、自分の書いた詩を、誰がどのように読み取ろうと自由だと考えている。そして、共感してくれる人が、似たような人種であり、自分の理解者になりうる共通の基盤を持っている可能性があるのだろうと思う。だから、自分が書いた世界を読み取られる方が、むしろ無気味である。画像を反転し、拡大したり縮小したり、色を変えたり、セピア色にしたり、モノクロームにしたり・・・などとできるだけ原形をとどめないように変装、仮装しているのに見破られたら、それは悔しくもあり、驚きも禁じえないだろうと思う。

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あれこれ [日記・雑感]

20180318sunday DSCN3816.JPG 短編映画用のシナリオを書き始めている。既に書いておいた『傘の反乱』を何人かに読んでもらっている。そのうちの一人からは今日時点ではまだ返信がないが。それらの感想を参考にしながら、推敲をしてゆこうと思っている。

 自分の場合、映像作品は詩とは大きく異なりリアルであることが非常に重要だからである。超現実的な作品であるとしても、骨格はリアリズムでなければ説得力がなくなる。栗の里の愉快な女房殿にも意見を求めたが、実に尤もな指摘をしてくれた。主人公の生活、生き方、人間に普遍性がなければ観客は感情移入ができないので、作品を離れて見てしまうことになるだろう、というのだ。全く言う通りで、その観点からは一部文章を入れ替えようと思っている。仮に有る人物が妄想を抱くにしても、極ありふれたそこいらにいる人間が抱くのと、見るからに怪しいオタクのような人間が抱く妄想とでは意味が異なるだろう。
 実際に自分が映像作品を作ることを前提に改めて読み直してみると、かなり実現が難しい部分がある。作り上げることを優先して、難しい部分を全部省略してしまったら何のために作成しているのかが分からなくなる。面白みがなくなる気がして、悩み始めている。
 そして、逃げるように、あるいは打開策として、別の作品を書いてみた。『引越し―おバカさん、さようなら』(10分位になるか?)である。大学生時代の経験を少し味付け、色付けをして描いてみた。自分としては悪くないと思っているのだが、この作品も女房殿からは厳しい指摘があるかもしれない。演じる側からの貴重な意見なので、耳が痛かろうが聞かなくてはならない。
 その後は、他にも20年以上前に書いた短編の『熱帯魚を飼う哲学者』、あるいはサキの『開かれた窓』の翻案などを書いてみることも考えている。
 Movie Studio 14 Platnumで一番使えそうなのはクロマキーと言う合成技術であるが、どうも使いこなすことができず、一旦中断している。上手合成できたり、まったく合成できなかったりするので、正しい操作ができていないのだ。落ち着いてやらなければ、と思いつつ、後回しにし既に一週間以上経ってしまっている。


※今日の絵は、今日描いた。大捕り物の絵。実現を念じて。

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春本雄二郎監督作品『かぞくへ』 [日記・雑感]

DSCN3815.JPG 昨日3月3日土曜日は、渋谷のユーロスペースで上映中の『かぞくへ』を観に行く。実は先週行く予定にしていたのだった。初日は監督や俳優達の舞台挨拶もあり、きっと混むだろうと予想して午前中にユーロスペースに状況を聞いたところ、なんと145席中90席が既に埋まっていると言う。午後9時からなのに、この状況ではとても夕方のこのこ出かけて行っても坐ることができないだろうと諦める。夜中にtwitterで状況を確認すると、なんと満席で立ち見も出たと言う。
 昨日は、念のために上映開始の1時間以上前に行き、指定券を受取り、ロビーでひたすら待っていた。東京芸大の映像研究科第12期生終了制作展があり、『向うの家』がspace2で同時刻から上映されたので、ロビーは上映直前には列を成す人々でごった返していた。   


 映画は一部実話を基にしているため、非常にリアルだった。そのためか、どの俳優も見事な演技をしていて、いわゆる「お芝居」がなく、ドキュメンタリー風ですらあった。旭も洋人も佳織も、ボクシングジムの会長も、受付の女性も。登場人物たちの個性も明確なので、ある意味演じやすかったのではないかとも思う。カメラを手持ちで撮影している部分は画像としてはみづらかった。だからと言って、その画像の動きがドキュメンタリー風に見える理由となっているのではない。佳織と旭の会話もよかった。旭とその友洋人もよかった。彼等の話す方言はとても魅力的だった。言葉の少なさが返って、言葉が伝え切れていない感情を観客に伝える。引き算の台詞。続く沈黙。一般的には人が会話をしている時には、相手が遮ったり、話題が変わったり、適当な言葉が思いつかなかったり、時間がなくなったり等々、文章で何かを主張するようには相手に伝えることができない。場合によっては言葉の断片から、肉体言語から、動作や間から、相手が考えていることを把握することになる。相手に対して好意的、好意を持っている場合は、相手の意図を汲もうと努めてくれる。しかし、好意的な会話ばかりが交わされるのではなく、相手に対して無関心だったり、時には敵対関係にあって敵意や悪意を抱いている場合もある。本作品では、短い会話の中からでも登場人物の心理、感情の変化がよく分かる。
 この作品はフランスの昨年2017年のヴズール国際アジア映画祭で最優秀アジア映画賞を獲得した。同じ時に上映された『Her Mother』以外の作品は知らないが、なるほど、この作品ならば選ばれてもおかしくないだろうと思った。
 
 上映は夜の21:00からだったので、私のいつもの生活パターンとは異なる。少し時間があったので家で午後『ぼくとママの黄色い自転車』と言う映画DVDを何の気なしに見た。シナリオとしては悪くないと思うのだが。一つずつ事実がはがされて明らかになってゆく、しかもそれが実は悲しい事実である、その中に冒険的な要素も入っている。楽しく悲しいお涙頂戴の映画と言えるかも知れない。が、女優がそこそこ有名すぎると、監督は十分にその女優を使いこなすことができないという結果になることもある。つまり、少年(ぼく)の母親(ママ)は筋力も記憶力も低下する難病に罹っているにも拘らず小奇麗なままで演じられているのである。役ではなく女優そのものの魅力が表現できるように、監督は妥協したのかもしれない。そのため少年が感じる理想の母親、記憶の中の母親と現実の病気の母親(本来変わり果てた姿であるはず)との差がまるでないばかりか、相変わらず美しく魅力的な母親のままなのである。「この人ぼくのママじゃない!」と言っても、感情を込めて発せられた台詞に過ぎないのである。言葉が、本来の意味を持ったない、形式的な音にすぎない。
 このDVDを観た後だったから余計に、『かぞくへ』の演技、台詞、演出に真実味を感じたのかもしれない。

 映画『かぞくへ』は、3/9(土)までは渋谷ユーロスペースで、3/10(日)からは横浜シネマリンで上映される。春本監督の映画自体、それに携わる人々、住んでいる地域、地域の人々など、もろもろに対する深い愛情を感じることができ、終了したときには既に23:00となっていたけれど、それに勝る有意義な時間を送ることができた。

 
 ここにご紹介させていただきました。



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準備がなかなか整わない [日記・雑感]

20180210sat DSCN3810.JPG あれこれ準備をしているのが、どうもはずみがつかない、それが現状。
 方向が見えていないわけでもない。それでも次々に別の作品を考え始めてしまう。

 これは結局、方向が見えていない、決まっていないということかもしれない。

 今日は、栗の里の愉快な女房殿の出演していた短編映画を暢気に観ていた。内藤隆嗣監督の『恋は考えるな、愛は感じろ』(2013年秩父映画祭出品)が私のお気に入り作品で、既に何度もDVDを見ている。メイキングも大好きで、何度も観ている。少ない台詞で、誇張された人間たちがテンポよく撮影され繋がれてゆく。何かを作ろうとしてもやもやしている時、この映画をみると愉快な気分になる。モントリオール世界映画祭にも行ったのに評価されなかったのは残念だった。恐らく、秀作が犇いていたのだろうと思う。運も大きい。

 ということで、このところ何を作るでもなく、書いているものをそのまま少しずつ仕上げているくらい。

DSCN3811.JPG 実は、ビデオカメラを購入しようと思っているのだが、最初からそこそこ値段の張るものを買うよりも、安価なもので少し腕を磨いたり、必要な機能を確認してから買ったほうが結局はよいのではないか、と迷っているのである。自分自身の決断力不足を託っている暇があったら、調べてみたり聞いてみたりすればよいのだが・・。

 2月中にはビデオカメラを購入し、撮影練習を開始する予定である。

 作品の案はいくつも練って、練って、捏ね回して、練りすぎて消滅してしまって・・・嘘。

 伯父の書いた随筆集の中からいくつかの話を選んで撮る計画は医者だった伯父が亡くなる前からあった。シナリオまで書いて、そのままになって久しい。

 あるいは、宮沢賢治の作品群。(そういえば、昨日某女子高校の国語の先生と話す機会があり、仕事以外で少しだけ先生の専門についてお尋ねした。国文科で近世俳諧を学んび、芭蕉と蕪村がお好きとのこと。今は、宮沢賢治を改めて読み直しているが、読み直してみて深みを感じる、とのこと。

DSCN3812.JPG その女子校では、朝拝と言う時間があって、学生達は皆数珠を持って手を合わせる。それは、その前に勤務していたカトリック系の学校でも礼拝の時間があったのと同様、宗教や宗派に拘らず、必要な時間ではないか、と仰っていた。全く同感である。行動を始める時に直ぐに予定表の最初の項目を見て動き始めるのではなく、予定表全体を眺めたり、予定表そのものを脇に置いて、一旦心を落ち着け、沈めてから冷静に行動・思考を始める、そんな生活がゆとりが感じられて精神的にも肉体的にもいいのだろうと思う。

 帰りに、三鷹駅前で「核兵器のない世界のために ヒバクシャ国際署名に あなたも」と訴えている年輩の人々が立っていた。私は立ち止まって、急いで署名をしてから職場に戻った。その際、同僚は全く無関心に見えた。残念なことだが、この「無関心の蔓延」が最も政治的には危険である。)

 あるいは今まで書いてきた短編の映像化・・・この案はなかなか気に入っている。

 こんなことを考えていると、モロさんから「ペン画物語 - Elizabeth」はどうなっているのか?!と催促を受けるかもしれない。

DSCN3813.JPG しかし、そこは拙者能天気親仁と呼ばれるゆえ、お気楽に、気長にやってゆきたいと思う。なにしろダリ/Disneyの"Destino"みたいな作品、などと大それたことを考えてしまったので、準備をしっかりしなければならないと、真面目に考え始めた次第。そんなことを言ってしまうと、あっ、言ってしまった、自分に対して大いなる負担となるから、こんな作品を作ろうとしていたことを忘れた振りをして、永遠にお蔵入りになってしまったり、未完成作品になったりするのだろうか?

 映像の習作の案は、他にも5つほど考えている。身近なところでビデオカメラを回してゆくのが良いだろうと思っている。


 今日の絵は、2018-02-05に描いた。B5判で、クーピーペンシル、色鉛筆、赤と黒のボールペン、水彩絵具使用。

 90度ずつ回転して撮影。どこからどうみるのも自由だ。

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本の装釘をしてみる [日記・雑感]

20180107詩集の装丁DSCN3808.JPG 今日は、先日従妹に宣言していた私家本を製作してみることにしました。世田谷文学賞の秀作入選や白鳥省吾賞で優秀賞などを受賞しているのに、私の兄弟では私しかその詩を読んでいないのが残念で、せめて隣に住んでいる姉には読んでもらえるように詩集を作ったほうが良かろうと考えたわけです。
 最初は挿絵をいれて作るなどと大言壮語していたのでしたが、いざ取り掛かってみるとこれは大変に難しく、時間も掛かることが分かりました。A4判を横にし、左右二等分しA5判にする。全体で54ページの場合には、4の倍数の56ページにし、裏表で印刷する紙の枚数を16枚に。1ページ目が左側に来る設定の場合には、一枚目の紙の裏面には左に1右に56ページを、表面には左に55と右に2ページを配置。こんな原稿を間違いなくコピーして張り付けるだと?それも16枚分56ページも?軟弱な人間なので、否、潔い人間と申せましょうか、方針をすぐさま変更するに至ったのであります。
 結局はA4判の紙を半分にカッターで切って、使ったことのないA5判用紙に両面印刷し、それをメモパッド方式で、背中をボンドで固定して製本することにしたのであります。
 こんなに手間が掛かるので、軟弱男、否潔い男の本領発揮であります。3冊作る予定をあっさり変更し、2冊のみにすることにしたのであります。1冊はこの詩を書いた従妹に献呈したいと思っております。もう1冊は私め用でございます。時折取り出しては悦に入るのではないかと考えております。天下に2冊しかない私家本詩集なのであります。(従妹がいつ出版するのかは分かりません。今回は手製の私家本を作ることの了解は得ております。)
 写真は、右から裏表紙、表表紙、中味、見返しであります。表紙には厚口のA3判画用紙を買ってきて、カッターでA5判まで小さくしました。本日、本文のA5×32枚は背の部分を木工ボンドとちり紙で固定してあります。明日、乾燥してから表紙をボンドで貼り付ける予定であります。

 ※装釘と言う文字は、「暮らしの手帖」編集長だった学識のある花森安治氏の拘りを尊重しこれを使っております。

20180108製本最終固定中DSCN3809.JPG昨晩ボンド付けしたものを、表表紙、裏表紙と本文を、本日更に合体させた状態。従妹には近々完成版を送る予定。「小鳥に説教するアッシジのフランチェスカ」風の絵が表、『謀議』/『エッシャー風(連続する小鳥と人の顔)』が裏表紙。

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年賀葉書のための木版画 [日記・雑感]

20180102tuesdayDSCN3800.JPG 使うことはなかったが今回作ってみた年賀葉書用の木版。蒲鉾の板を使っているので縦長になっている。それを色を変えて連続5回横に並べて刷ってみる。
 ここに筆ペンで書いてあるのは『枕草子』からの一文。

 ところで「『話の話』の話」を読みながら、multi-plane systemという技術について改めて知る。この技術がアニメーションで奥行きを作り出すために画像を実際に何層も重ねて撮影する方法であることも、子供の頃からディズニーのアニメは原画が何層にもなっているので、日本のちゃちなテレビアニメとは違うと言うことも兄から聞いて知ってはいた。一秒間に流すコマ数もディズニーは24、日本のアニメは12なのだ、とか。ちゃちなアニメを作らざるを得なかったのは技術力ではなく、製作費の問題にすぎなかったのだが。ディズニーは『白雪姫』を作って呆れられたが、興行的には成功しすぐに製作費を回収できたが、『ピノッキオ』『ファンタジア』の製作を引き続きフルアニメーションで行ったために、回収するのに何十年も掛かったとwikipediaに書いてある。
 東映の作成した『白蛇伝』の予告編を見てみると、マルチプレーンカメラが紹介されている。確かに、許仙と白娘子が庭を歩く美しい場面はそれがよく分かる。
 自分の場合、予算ばかりか、知識、経験、人材などあらゆる物が限られているので、ない知恵を絞りできる範囲でやる以外に手はなさそうだ。

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舞台製作 [日記・雑感]

20171229friday撮影DSCN3757.JPG 今日は、舞台の破風を作る。この破風は段ボールを二枚貼り合せて、赤い水彩絵具を塗っている。縁は黒、その上に金色の水彩絵具で点を描いている。完成はしていない。
 一応舞台らしく、バトンならぬ紐を張り渡して、そこに立ち木の大道具を吊ってみる。これで、大分奥行きが出てきているはずではあるが、写真ではそれが思うように表現できていないかもしれない。左右の袖は見切れてしまうので、袖幕のようなものを用意しなければならないのだが、今日のところは急場しのぎで赤い包装紙を上手側に張付けボロ隠しをした。
 背景のアンリ・ルソー『夢』風の絵は、コンビニのコピーでA3判を拡大しA2判に近づける。A3判2枚を貼り合わせるので、どうしてもA2判よりは小さくなってしまう。それでも大きくすると、大分迫力が出てくる。
 切り紙人形は胸像のように胸から上しか作っていないので、実際に撮影する時にどうするか、もっと別の大道具が必要になるのではないか、とも思う。

 今日はプリンターのカラーインクが切れていたので、苦労しながら補充を終える。試しにアンネの絵を出力してみるが、青と黄色が出ない。ヘッドの掃除を何回か繰り返しているうちに、まともな色が出るようになったものの、原画とは大いに異なる色になってしまった。8枚目にようやく見られる色になった。折角印刷したので、この八枚は、"Elizabeth?"に使うかもしれない。その積りはなかったのではあったが。同じ絵を連続して並べるとそれなりの面白さがでる。版画を何枚も刷っていると、それぞれに味わいがあり、全く同じ物を刷ることができないので、それが別の価値を付与してくれると思うのだが、それと同じことだろう。

 ところで、昨日、12月28日木曜日には、新宿のヨドバシカメラへ行って、パソコンを購入する。注文後組み立てて発送するので、納品は早くとも2月上旬になるだろうとのこと。それも仕方ないと諦める。映像編集ソフトVEGAS MOVIE STUDIO 14も購入するが、PCがないので使用できない。つまり、その前にそれなりの物を用意しておくようにと、天が私に命じていると考えればよいのだろう。

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舞台作り [日記・雑感]

 20171225撮影DSCN3755.JPG映像準備のための舞台づくり。今日12月25日月曜日は、昨日休日出勤の振り替えで休みなので、先週から舞台作りか背景描きかどちらかをやろうと決めていた。
 舞台と言っても枠があるだけで、照明もついていなければ背景(バックドロップ)を吊る為のバトンもついていない。余りに簡単に作ってしまったので、今日は補強の筋交いを取り付け、更に舞台らしく袖幕を作ってみた。緞帳はまた後の楽しみとして取っておこう。緞帳については、いくつかの種類を作って、作る映像作品に合わせて変えることもよいのではないかと思う。
 この赤い袖幕は、伊勢丹で購入した何かを包んだ包装紙である。白熱電球を当てると、なかなか好く映える。袖幕を留めている金色の紐は、これも少し高級なお菓子か何かを家内がもらった時に使われていた包装用の金ラメの紐である。これも、なかなか照明映えする。
 こうやって使ってみると、箱やら包装紙やら紐やらリボンやら、本当に捨てられなくなりそうである。実際に、殆どの包装紙は、本のカバーや楽譜の表紙にしたりして、無駄に捨てられることはない。
 ところで、先週買ってきた『「話の話」の話』クレア・キッソン著のロシアのアニメーター ユーリー・ノルシュテインの作品作りが、自分が今考えている物によく似ているので、この本を手に取り驚き、嬉しくなった。先駆者がいたからということではなく、人間は所詮同じようなことを考える物なのだと思ったからである。これも何かの巡りあわせなのだろうと思う。まだ、全く未着手なのに、なぜが完成予想図が似ているような気がするのである。尤も、『話の話』は多分に幻想的でロマンティックであり、私の作品はきっとシュルレアリスム風になるだろうから、印象が大分異なるだろうが。
 今回舞台に並べてある切り紙人形も、登場人物になるはずだが、変更する可能性もある。
 舞台背景に描いてあるのは、広重風の浮世絵。まだ色を塗りこんでいないので、この写真では、どのような情景かはわからないが。
 舞台を見ていると、この舞台の上で、キリギリスやら猫やらの演奏会を開いてみたくなってくる。

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Ah, vous voilà, Elizabeth!制作日記 [日記・雑感]

 実際には、これは日記ではないけれども、題名としては『制作日記』になるだろう。今回作ろうとしている映像作品は、やはりビデオになるので時間が掛かる。最初に、この作品が完成するまでに3ヶ月以上掛かるだろうと宣言してしまうことにした。そうしたら、随分気持ちが楽になった。少しでもD20171209SCN3749.JPG早く完成させようと思っていたら、焦るばかりで制作がどんどん遅れる始めた。原因は簡単である。思いつきで、作りたいものを作っているので、肝心の全体的な構想が自体が迷走してしまったのだった。方向性と言うよりはこの短い物語は最初からはっきり決まっているのに。
 そこで今週は、この映像作品を仕上げる為に必要な物を列挙し、一つずつ作ってゆくことにした。作らなければならないもので筆頭に来るのは、舞台である。場面をしっかりと設置できる舞台がなければ背景、バックドロップも吊れないし、大道具の設置もできない。
 最初は安易に考えていて、段ボールで作ればよいと思っていた。ところが、段ボールは強度が全く不足していて、背景や大道具の設置や小道具を置くこともできないことがわかった。分かったというのは、実際に作ってみて、実にへな猪口な仕上がりになってしまい、早速お蔵入りにしてしまったのだった。補強のためにベニヤ板を打ち付ければよいと思っていたが、そんなことをするなら木材でしっかりと作ったほうが結局は応用が効くだろうと考えなおす。しかし、木材で作るとなると平日には作れないので、結局土日になるのである。何故、日曜大工というかがよく分かる。一定の纏まった時間と労力を必要とするので、平日には大工はできないのである。
 DSCN3750.JPG本日12月9日の土曜日は、当初床屋へ行く予定だったが、17:30からでないと予約が一杯だということなので、行くのを明日に変更し、大工仕事をすることにした。
 先ずは、設計図を描く。細い木材の小割が何本必要か、それをどのように加工する必要があるか。これを描いておかないと、効率よい仕事ができない。通勤途中に手帳に描いておいたものを思い出しながら、改めて一から設計図を描く。設計図と言っても直線ばかりの簡単なものだ。間口は60センチ、奥行き45センチ、高さ50センチだ。A2判の画用紙で背景画を描き、それを吊り込むことのできる大きさである。
 外に置いてある12尺ある小割を2本取ってくる。そして60センチ×2本、50センチ×4本、45センチ×4本を切り分ける。その後鉋を掛けるが、余り真剣にかけない。掛けられない理由は、小割の一部が節目のために撓んでいることである。材木は長時間寝かしておくと、本来生えていた時の癖が出てくる。だから購入した時にはどの材木も真直ぐだったのに、随分曲がっている木材もあるのだ。
 DSCN3753.JPG組み立てる為に、小割同士が交差する部分を削る。蝶ナットを買ってきて、分解ができるようにするのが最初の案だった。しかし、電気ドリルがないし、蝶ナットで固定して分解する必要がどの程度あるかを考えてみて、結局はそのまま釘を打ちつけて固定してしまうことにする。
 ということで、舞台枠が一応完成したので、それを使って紙人形や大道具の吊り込みをしてみる。それらを撮ったのが今日の写真である。描いた絵を一番後ろのホリゾント幕の場所に立て懸けてみる。その前にボサ(草叢)や紙人形を置いてみる。
 実際にこうやっておいてみることで、映像にする場合にはどのようになるかが分かる。何事も実際にやってみることが大切である。頭の中で創造していることとは大分異なっている。実際にやってみると想像していなかったことも起こりうるのだが、それは新たな刺激となって、別の発想に到達することもできる。
 ”Ah, vous voilà, Elizabeth”では、色々な小道具が必要になる。現実の画材店にはそのようなものは置いてないだろうし、実際そのようなものは必要ではないが、あった方が魅力的になるだろうと思われるのだ。そういう細々した小道具が沢山必要なのだ。今回、それをあれこれ作ってみることで、別の映像作品を作る際にもその経験が間違いなく活かされるだろう。

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第16回 風景を描くペン画展  [日記・雑感]

DSCN3622.JPG 今日は、夏からその開催を気にしていた風景を描くペン画展を見に、中央線国立駅前のコートギャラリー国立は行ってくる。昨年モロさんが言っていた様に、展示会場は2箇所を借りて、作品数も倍以上出されているようだった。クラスがあるので15:30以降でないと在廊しないということだったので、15:15頃の到着を目指した。乗り継ぎがよく、15:00には到着した。
 着いてからは、ゆっくりと作品を鑑賞する。
 殆どの作品が黒一色だが、何点かは水彩絵具で彩色されている。その色付けも手慣れたもので、光の調整もよく、見事な作品があった。
 奥の方の展示会場にあったA氏の作品は、他のペン画教室の受講生が盛んに感心しているくらいで、本当に細部の線まで気を緩めずに描いていることが分かり素晴らしい技術だと思った。作品が力強くなるための必要条件は、基本を丁寧に、徹底して妥協しないことかもしれないと思った。線にばらつきが少なく、あるべき線があるべき箇所に引かれている。
DSCN3624.JPG 雨上がりの国立新美術館テラスを描いた作品があったが、この方の絵は濡れた水の表現が見事だった。水の質感、濡れた床が良かった。この方は、フランスのどこかの街の交差点風景も描いていたが、展示されていた人たちの中では、唯一人間を風景としてではなく人間として描いていた。人には得意不得意があるので、人間を苦手とする人もいる。無機的なものを苦手だと思う人もいると思うが。
 水準の高い受講者もいるが、彼等は熱心で一日中ペン画を描いているそうで、まるで職人のようだと思う。
 モロさんの作品とペン画教室の受講者の方々の作品との違いは何かという事を何度か考えてみた。結論は、モロさんの絵には、対象として表現されている風景以外の詩情、物語性、遊びがあるように私は思うのだが。
 左の写真はTALENS CLUBの小冊子TCの取材を受けたモロさん。
 会場の一角にあるテーブルの所に坐って、一時間以上話をする。次なる共同作業を何にするか。文章作品『ペン画物語』は一旦保留にし、まずは短い映像作品でも作ってみましょうか、と言う話になる。もし『ペン画物語』(モロさんの伝記)を映像化するとなると大変なことになるので、比較的簡単にできる一部分だけを撮影してみるのはどうか。こんな話をして少しだけ盛り上がる。私が比較的直に映像化できそうだと思う場面はパリの屋根裏部屋でひたすら絵を描くモロさんの姿。もう一つは画材店で店員エリザベと言う若い女性に会い、淡い恋心を抱いたあの出来事を"Destino"風に、シュルレアリスム風に描くこと。アンリ・ルソーの『夢』のような場面がどんどん展開してゆく。暗闇を通り、深いジャングルを怪我をしながら迷いながら進んでゆくと、ついにまばゆいばかりの光を全身に浴びる。眩しい目をゆっくり開けると、自分は日本の生まれ故郷の奥多摩にいる・・・さて、どうなることやら。
 『ペン画物語』の前に、別の小作品を考えている。

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