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準備がなかなか整わない [日記・雑感]

20180210sat DSCN3810.JPG あれこれ準備をしているのが、どうもはずみがつかない、それが現状。
 方向が見えていないわけでもない。それでも次々に別の作品を考え始めてしまう。

 これは結局、方向が見えていない、決まっていないということかもしれない。

 今日は、栗の里の愉快な女房殿の出演していた短編映画を暢気に観ていた。内藤隆嗣監督の『恋は考えるな、愛は感じろ』(2013年秩父映画祭出品)が私のお気に入り作品で、既に何度もDVDを見ている。メイキングも大好きで、何度も観ている。少ない台詞で、誇張された人間たちがテンポよく撮影され繋がれてゆく。何かを作ろうとしてもやもやしている時、この映画をみると愉快な気分になる。モントリオール世界映画祭にも行ったのに評価されなかったのは残念だった。恐らく、秀作が犇いていたのだろうと思う。運も大きい。

 ということで、このところ何を作るでもなく、書いているものをそのまま少しずつ仕上げているくらい。

DSCN3811.JPG 実は、ビデオカメラを購入しようと思っているのだが、最初からそこそこ値段の張るものを買うよりも、安価なもので少し腕を磨いたり、必要な機能を確認してから買ったほうが結局はよいのではないか、と迷っているのである。自分自身の決断力不足を託っている暇があったら、調べてみたり聞いてみたりすればよいのだが・・。

 2月中にはビデオカメラを購入し、撮影練習を開始する予定である。

 作品の案はいくつも練って、練って、捏ね回して、練りすぎて消滅してしまって・・・嘘。

 伯父の書いた随筆集の中からいくつかの話を選んで撮る計画は医者だった伯父が亡くなる前からあった。シナリオまで書いて、そのままになって久しい。

 あるいは、宮沢賢治の作品群。(そういえば、昨日某女子高校の国語の先生と話す機会があり、仕事以外で少しだけ先生の専門についてお尋ねした。国文科で近世俳諧を学んび、芭蕉と蕪村がお好きとのこと。今は、宮沢賢治を改めて読み直しているが、読み直してみて深みを感じる、とのこと。

DSCN3812.JPG その女子校では、朝拝と言う時間があって、学生達は皆数珠を持って手を合わせる。それは、その前に勤務していたカトリック系の学校でも礼拝の時間があったのと同様、宗教や宗派に拘らず、必要な時間ではないか、と仰っていた。全く同感である。行動を始める時に直ぐに予定表の最初の項目を見て動き始めるのではなく、予定表全体を眺めたり、予定表そのものを脇に置いて、一旦心を落ち着け、沈めてから冷静に行動・思考を始める、そんな生活がゆとりが感じられて精神的にも肉体的にもいいのだろうと思う。

 帰りに、三鷹駅前で「核兵器のない世界のために ヒバクシャ国際署名に あなたも」と訴えている年輩の人々が立っていた。私は立ち止まって、急いで署名をしてから職場に戻った。その際、同僚は全く無関心に見えた。残念なことだが、この「無関心の蔓延」が最も政治的には危険である。)

 あるいは今まで書いてきた短編の映像化・・・この案はなかなか気に入っている。

 こんなことを考えていると、モロさんから「ペン画物語 - Elizabeth」はどうなっているのか?!と催促を受けるかもしれない。

DSCN3813.JPG しかし、そこは拙者能天気親仁と呼ばれるゆえ、お気楽に、気長にやってゆきたいと思う。なにしろダリ/Disneyの"Destino"みたいな作品、などと大それたことを考えてしまったので、準備をしっかりしなければならないと、真面目に考え始めた次第。そんなことを言ってしまうと、あっ、言ってしまった、自分に対して大いなる負担となるから、こんな作品を作ろうとしていたことを忘れた振りをして、永遠にお蔵入りになってしまったり、未完成作品になったりするのだろうか?

 映像の習作の案は、他にも5つほど考えている。身近なところでビデオカメラを回してゆくのが良いだろうと思っている。


 今日の絵は、2018-02-05に描いた。B5判で、クーピーペンシル、色鉛筆、赤と黒のボールペン、水彩絵具使用。

 90度ずつ回転して撮影。どこからどうみるのも自由だ。

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本の装釘をしてみる [日記・雑感]

20180107詩集の装丁DSCN3808.JPG 今日は、先日従妹に宣言していた私家本を製作してみることにしました。世田谷文学賞の秀作入選や白鳥省吾賞で優秀賞などを受賞しているのに、私の兄弟では私しかその詩を読んでいないのが残念で、せめて隣に住んでいる姉には読んでもらえるように詩集を作ったほうが良かろうと考えたわけです。
 最初は挿絵をいれて作るなどと大言壮語していたのでしたが、いざ取り掛かってみるとこれは大変に難しく、時間も掛かることが分かりました。A4判を横にし、左右二等分しA5判にする。全体で54ページの場合には、4の倍数の56ページにし、裏表で印刷する紙の枚数を16枚に。1ページ目が左側に来る設定の場合には、一枚目の紙の裏面には左に1右に56ページを、表面には左に55と右に2ページを配置。こんな原稿を間違いなくコピーして張り付けるだと?それも16枚分56ページも?軟弱な人間なので、否、潔い人間と申せましょうか、方針をすぐさま変更するに至ったのであります。
 結局はA4判の紙を半分にカッターで切って、使ったことのないA5判用紙に両面印刷し、それをメモパッド方式で、背中をボンドで固定して製本することにしたのであります。
 こんなに手間が掛かるので、軟弱男、否潔い男の本領発揮であります。3冊作る予定をあっさり変更し、2冊のみにすることにしたのであります。1冊はこの詩を書いた従妹に献呈したいと思っております。もう1冊は私め用でございます。時折取り出しては悦に入るのではないかと考えております。天下に2冊しかない私家本詩集なのであります。(従妹がいつ出版するのかは分かりません。今回は手製の私家本を作ることの了解は得ております。)
 写真は、右から裏表紙、表表紙、中味、見返しであります。表紙には厚口のA3判画用紙を買ってきて、カッターでA5判まで小さくしました。本日、本文のA5×32枚は背の部分を木工ボンドとちり紙で固定してあります。明日、乾燥してから表紙をボンドで貼り付ける予定であります。

 ※装釘と言う文字は、「暮らしの手帖」編集長だった学識のある花森安治氏の拘りを尊重しこれを使っております。

20180108製本最終固定中DSCN3809.JPG昨晩ボンド付けしたものを、表表紙、裏表紙と本文を、本日更に合体させた状態。従妹には近々完成版を送る予定。「小鳥に説教するアッシジのフランチェスカ」風の絵が表、『謀議』/『エッシャー風(連続する小鳥と人の顔)』が裏表紙。

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年賀葉書のための木版画 [日記・雑感]

20180102tuesdayDSCN3800.JPG 使うことはなかったが今回作ってみた年賀葉書用の木版。蒲鉾の板を使っているので縦長になっている。それを色を変えて連続5回横に並べて刷ってみる。
 ここに筆ペンで書いてあるのは『枕草子』からの一文。

 ところで「『話の話』の話」を読みながら、multi-plane systemという技術について改めて知る。この技術がアニメーションで奥行きを作り出すために画像を実際に何層も重ねて撮影する方法であることも、子供の頃からディズニーのアニメは原画が何層にもなっているので、日本のちゃちなテレビアニメとは違うと言うことも兄から聞いて知ってはいた。一秒間に流すコマ数もディズニーは24、日本のアニメは12なのだ、とか。ちゃちなアニメを作らざるを得なかったのは技術力ではなく、製作費の問題にすぎなかったのだが。ディズニーは『白雪姫』を作って呆れられたが、興行的には成功しすぐに製作費を回収できたが、『ピノッキオ』『ファンタジア』の製作を引き続きフルアニメーションで行ったために、回収するのに何十年も掛かったとwikipediaに書いてある。
 東映の作成した『白蛇伝』の予告編を見てみると、マルチプレーンカメラが紹介されている。確かに、許仙と白娘子が庭を歩く美しい場面はそれがよく分かる。
 自分の場合、予算ばかりか、知識、経験、人材などあらゆる物が限られているので、ない知恵を絞りできる範囲でやる以外に手はなさそうだ。

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舞台製作 [日記・雑感]

20171229friday撮影DSCN3757.JPG 今日は、舞台の破風を作る。この破風は段ボールを二枚貼り合せて、赤い水彩絵具を塗っている。縁は黒、その上に金色の水彩絵具で点を描いている。完成はしていない。
 一応舞台らしく、バトンならぬ紐を張り渡して、そこに立ち木の大道具を吊ってみる。これで、大分奥行きが出てきているはずではあるが、写真ではそれが思うように表現できていないかもしれない。左右の袖は見切れてしまうので、袖幕のようなものを用意しなければならないのだが、今日のところは急場しのぎで赤い包装紙を上手側に張付けボロ隠しをした。
 背景のアンリ・ルソー『夢』風の絵は、コンビニのコピーでA3判を拡大しA2判に近づける。A3判2枚を貼り合わせるので、どうしてもA2判よりは小さくなってしまう。それでも大きくすると、大分迫力が出てくる。
 切り紙人形は胸像のように胸から上しか作っていないので、実際に撮影する時にどうするか、もっと別の大道具が必要になるのではないか、とも思う。

 今日はプリンターのカラーインクが切れていたので、苦労しながら補充を終える。試しにアンネの絵を出力してみるが、青と黄色が出ない。ヘッドの掃除を何回か繰り返しているうちに、まともな色が出るようになったものの、原画とは大いに異なる色になってしまった。8枚目にようやく見られる色になった。折角印刷したので、この八枚は、"Elizabeth?"に使うかもしれない。その積りはなかったのではあったが。同じ絵を連続して並べるとそれなりの面白さがでる。版画を何枚も刷っていると、それぞれに味わいがあり、全く同じ物を刷ることができないので、それが別の価値を付与してくれると思うのだが、それと同じことだろう。

 ところで、昨日、12月28日木曜日には、新宿のヨドバシカメラへ行って、パソコンを購入する。注文後組み立てて発送するので、納品は早くとも2月上旬になるだろうとのこと。それも仕方ないと諦める。映像編集ソフトVEGAS MOVIE STUDIO 14も購入するが、PCがないので使用できない。つまり、その前にそれなりの物を用意しておくようにと、天が私に命じていると考えればよいのだろう。

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舞台作り [日記・雑感]

 20171225撮影DSCN3755.JPG映像準備のための舞台づくり。今日12月25日月曜日は、昨日休日出勤の振り替えで休みなので、先週から舞台作りか背景描きかどちらかをやろうと決めていた。
 舞台と言っても枠があるだけで、照明もついていなければ背景(バックドロップ)を吊る為のバトンもついていない。余りに簡単に作ってしまったので、今日は補強の筋交いを取り付け、更に舞台らしく袖幕を作ってみた。緞帳はまた後の楽しみとして取っておこう。緞帳については、いくつかの種類を作って、作る映像作品に合わせて変えることもよいのではないかと思う。
 この赤い袖幕は、伊勢丹で購入した何かを包んだ包装紙である。白熱電球を当てると、なかなか好く映える。袖幕を留めている金色の紐は、これも少し高級なお菓子か何かを家内がもらった時に使われていた包装用の金ラメの紐である。これも、なかなか照明映えする。
 こうやって使ってみると、箱やら包装紙やら紐やらリボンやら、本当に捨てられなくなりそうである。実際に、殆どの包装紙は、本のカバーや楽譜の表紙にしたりして、無駄に捨てられることはない。
 ところで、先週買ってきた『「話の話」の話』クレア・キッソン著のロシアのアニメーター ユーリー・ノルシュテインの作品作りが、自分が今考えている物によく似ているので、この本を手に取り驚き、嬉しくなった。先駆者がいたからということではなく、人間は所詮同じようなことを考える物なのだと思ったからである。これも何かの巡りあわせなのだろうと思う。まだ、全く未着手なのに、なぜが完成予想図が似ているような気がするのである。尤も、『話の話』は多分に幻想的でロマンティックであり、私の作品はきっとシュルレアリスム風になるだろうから、印象が大分異なるだろうが。
 今回舞台に並べてある切り紙人形も、登場人物になるはずだが、変更する可能性もある。
 舞台背景に描いてあるのは、広重風の浮世絵。まだ色を塗りこんでいないので、この写真では、どのような情景かはわからないが。
 舞台を見ていると、この舞台の上で、キリギリスやら猫やらの演奏会を開いてみたくなってくる。

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Ah, vous voilà, Elizabeth!制作日記 [日記・雑感]

 実際には、これは日記ではないけれども、題名としては『制作日記』になるだろう。今回作ろうとしている映像作品は、やはりビデオになるので時間が掛かる。最初に、この作品が完成するまでに3ヶ月以上掛かるだろうと宣言してしまうことにした。そうしたら、随分気持ちが楽になった。少しでもD20171209SCN3749.JPG早く完成させようと思っていたら、焦るばかりで制作がどんどん遅れる始めた。原因は簡単である。思いつきで、作りたいものを作っているので、肝心の全体的な構想が自体が迷走してしまったのだった。方向性と言うよりはこの短い物語は最初からはっきり決まっているのに。
 そこで今週は、この映像作品を仕上げる為に必要な物を列挙し、一つずつ作ってゆくことにした。作らなければならないもので筆頭に来るのは、舞台である。場面をしっかりと設置できる舞台がなければ背景、バックドロップも吊れないし、大道具の設置もできない。
 最初は安易に考えていて、段ボールで作ればよいと思っていた。ところが、段ボールは強度が全く不足していて、背景や大道具の設置や小道具を置くこともできないことがわかった。分かったというのは、実際に作ってみて、実にへな猪口な仕上がりになってしまい、早速お蔵入りにしてしまったのだった。補強のためにベニヤ板を打ち付ければよいと思っていたが、そんなことをするなら木材でしっかりと作ったほうが結局は応用が効くだろうと考えなおす。しかし、木材で作るとなると平日には作れないので、結局土日になるのである。何故、日曜大工というかがよく分かる。一定の纏まった時間と労力を必要とするので、平日には大工はできないのである。
 DSCN3750.JPG本日12月9日の土曜日は、当初床屋へ行く予定だったが、17:30からでないと予約が一杯だということなので、行くのを明日に変更し、大工仕事をすることにした。
 先ずは、設計図を描く。細い木材の小割が何本必要か、それをどのように加工する必要があるか。これを描いておかないと、効率よい仕事ができない。通勤途中に手帳に描いておいたものを思い出しながら、改めて一から設計図を描く。設計図と言っても直線ばかりの簡単なものだ。間口は60センチ、奥行き45センチ、高さ50センチだ。A2判の画用紙で背景画を描き、それを吊り込むことのできる大きさである。
 外に置いてある12尺ある小割を2本取ってくる。そして60センチ×2本、50センチ×4本、45センチ×4本を切り分ける。その後鉋を掛けるが、余り真剣にかけない。掛けられない理由は、小割の一部が節目のために撓んでいることである。材木は長時間寝かしておくと、本来生えていた時の癖が出てくる。だから購入した時にはどの材木も真直ぐだったのに、随分曲がっている木材もあるのだ。
 DSCN3753.JPG組み立てる為に、小割同士が交差する部分を削る。蝶ナットを買ってきて、分解ができるようにするのが最初の案だった。しかし、電気ドリルがないし、蝶ナットで固定して分解する必要がどの程度あるかを考えてみて、結局はそのまま釘を打ちつけて固定してしまうことにする。
 ということで、舞台枠が一応完成したので、それを使って紙人形や大道具の吊り込みをしてみる。それらを撮ったのが今日の写真である。描いた絵を一番後ろのホリゾント幕の場所に立て懸けてみる。その前にボサ(草叢)や紙人形を置いてみる。
 実際にこうやっておいてみることで、映像にする場合にはどのようになるかが分かる。何事も実際にやってみることが大切である。頭の中で創造していることとは大分異なっている。実際にやってみると想像していなかったことも起こりうるのだが、それは新たな刺激となって、別の発想に到達することもできる。
 ”Ah, vous voilà, Elizabeth”では、色々な小道具が必要になる。現実の画材店にはそのようなものは置いてないだろうし、実際そのようなものは必要ではないが、あった方が魅力的になるだろうと思われるのだ。そういう細々した小道具が沢山必要なのだ。今回、それをあれこれ作ってみることで、別の映像作品を作る際にもその経験が間違いなく活かされるだろう。

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第16回 風景を描くペン画展  [日記・雑感]

DSCN3622.JPG 今日は、夏からその開催を気にしていた風景を描くペン画展を見に、中央線国立駅前のコートギャラリー国立は行ってくる。昨年モロさんが言っていた様に、展示会場は2箇所を借りて、作品数も倍以上出されているようだった。クラスがあるので15:30以降でないと在廊しないということだったので、15:15頃の到着を目指した。乗り継ぎがよく、15:00には到着した。
 着いてからは、ゆっくりと作品を鑑賞する。
 殆どの作品が黒一色だが、何点かは水彩絵具で彩色されている。その色付けも手慣れたもので、光の調整もよく、見事な作品があった。
 奥の方の展示会場にあったA氏の作品は、他のペン画教室の受講生が盛んに感心しているくらいで、本当に細部の線まで気を緩めずに描いていることが分かり素晴らしい技術だと思った。作品が力強くなるための必要条件は、基本を丁寧に、徹底して妥協しないことかもしれないと思った。線にばらつきが少なく、あるべき線があるべき箇所に引かれている。
DSCN3624.JPG 雨上がりの国立新美術館テラスを描いた作品があったが、この方の絵は濡れた水の表現が見事だった。水の質感、濡れた床が良かった。この方は、フランスのどこかの街の交差点風景も描いていたが、展示されていた人たちの中では、唯一人間を風景としてではなく人間として描いていた。人には得意不得意があるので、人間を苦手とする人もいる。無機的なものを苦手だと思う人もいると思うが。
 水準の高い受講者もいるが、彼等は熱心で一日中ペン画を描いているそうで、まるで職人のようだと思う。
 モロさんの作品とペン画教室の受講者の方々の作品との違いは何かという事を何度か考えてみた。結論は、モロさんの絵には、対象として表現されている風景以外の詩情、物語性、遊びがあるように私は思うのだが。
 左の写真はTALENS CLUBの小冊子TCの取材を受けたモロさん。
 会場の一角にあるテーブルの所に坐って、一時間以上話をする。次なる共同作業を何にするか。文章作品『ペン画物語』は一旦保留にし、まずは短い映像作品でも作ってみましょうか、と言う話になる。もし『ペン画物語』(モロさんの伝記)を映像化するとなると大変なことになるので、比較的簡単にできる一部分だけを撮影してみるのはどうか。こんな話をして少しだけ盛り上がる。私が比較的直に映像化できそうだと思う場面はパリの屋根裏部屋でひたすら絵を描くモロさんの姿。もう一つは画材店で店員エリザベと言う若い女性に会い、淡い恋心を抱いたあの出来事を"Destino"風に、シュルレアリスム風に描くこと。アンリ・ルソーの『夢』のような場面がどんどん展開してゆく。暗闇を通り、深いジャングルを怪我をしながら迷いながら進んでゆくと、ついにまばゆいばかりの光を全身に浴びる。眩しい目をゆっくり開けると、自分は日本の生まれ故郷の奥多摩にいる・・・さて、どうなることやら。
 『ペン画物語』の前に、別の小作品を考えている。

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Her Mother 佐藤 慶紀監督 続報 [日記・雑感]

DSCN3563.JPG 昨日佐藤慶紀監督『Her Mother』の第二回目の試写会がありました。映画評論家も何人か来られていたようでした。切通理作さんも来られ、記事も書いておいでのようです。
 そして、もしかするとその中には報知新聞の記者の方がいらっしゃったのかもしれません。本日8/31のスポーツ報知の14面に大きく取り上げてありました。今日ご紹介するのはこの記事です。
 最も大きく取り上げられているのは、殺人者の役を演じた荒川泰次郎さんですが、大学時代には九州のチャンピョンですから、彼が中心になるのはスポーツ紙としては当然の扱いだと思います。身体も引き締まっていて、栗の里の愉快な女房殿も盛んに「恰好好い!」と申しておりました。ポスターの写真は私も好きです。ポスターとしても仕上がりがとても良いと思います。
 既に感想の中でも述べましたが、殺した妻の秘密も自分の中に秘めながら死刑判決を受け入れてゆくその姿は、好感の持てる良い演技だったと思います。
 元ボクサーですから、身体の切れもありますので、これから本当に期待できる俳優さんではないかと思います。

DSCN3564.JPG 序でながら、紙面左側にすこし記事が載っていますが、栗の里の愉快な女房殿も、”怪演”と言う表現で紹介されています。
 
 相手の心を見透かしたような怖さ、怪しさ、独特の雰囲気を漂わせ、リアルに”怪演”
、と非常に的確な評言を書いて頂いています。
 
 実際に、彼女は台詞の一つずつを読み込み、全て暗記して納得しないと演技ができないタイプなのです。今回は、台詞に含みの多い脚本だったので、かなり苦労したようです。実際に、この映画の撮影が終わってからも暫くは疲れ切っていました。それだけ彼女にとっては重い役だったのです。
 記事にしていただいたことで、今日はすっかり大喜びしていることと思います。
 

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佐藤 慶紀監督『Her Mother』 [日記・雑感]


DSCN3509.JPGHER MOTHER 佐藤 慶紀監督作品

娘を殺した死刑囚との対話

娘を殺害した加害者の死刑を止めようとする母。一体なぜ・・・

期間:9/9(土)~10/6(金)ロードショー 連日10:30~
場所:新宿K's cinema
<その他注意>※K's cinemaのHPより
 ・当劇場は84席の 定員・入替・整理番号制 となっております。
 ・3階入口のカウンターにてチケットをご購入の上、入場番号付き整理券を  お受け取りください。
 ・特別鑑賞券、招待券をお持ちのお客様も一度受付カ ウンターにて入場  番号付き整理券にお引き換えください。
 ・上映開始時刻の10分前(作品により5分前)より、10名様ずつ整理番号  順でのご入場となります。
 ・当劇場は消防法により、お立ち見席をご用意しておりません。満席の際  にはご入場をお断りする場合がございます。あらかじめご了承下さい。

 


 以下、この映画を見ての感想を述べたい。
 
 この映画は「半倒叙」方式で作られており、刑の確定後、この事件に関わる人々がどのように考え行動するかが描かれている。それは答えられることのない、投げ掛けられただけの疑問集のようでもある。

注)倒叙:inverted detective story 『刑事コロンボ』では最初に犯行現場の状況が見せられてから、その後容疑者に質問を投げ掛けながらコロンボ刑事が追い詰めて行くという展開になるが、これを倒叙と呼ぶ。半倒叙は、その後の展開で、全ては明らかにならないものをそのように呼ぶ(ウィキペディアによれば)そうである。
 
 娘を殺された母晴美は、娘みちよが殺されたという事実のみしか考えようとしない。自分たちは被害者側にあるのだということしか考えようとしない。現実には何があったのか、事実そのものを直視しようとしない。知ることを回避し続ける。事実に向き合おうとさえしなければ、その事実そのものを否定できるだろうという、安易な自己防衛である。この自己防衛本能は普遍性が高い。(ついでながら、往生際の悪い政治家は全員これが当てはまる。)
 娘を殺害した孝司は、裁判では娘側にも原因があったことを主張するが、刑が確定しまった後は考え方が反転する。殺してもよい人間がいる、と考えていたが、それは間違っていたと確信するようになる。彼になぜこのような心境の変化が訪れたのかは好く分からない。自分の犯した殺人罪のみを考え、それを償うことのみが自分にとっての救いなのだと考えたのかもしれない。孝司はこの信念を自分の死の時まで変えようとしない。自分の犯した殺人の罪も娘達の罪も、自分がこれ以上何も弁明しないことで背負い、これ以上の憎しみの連鎖を断ち切ってしまおうとするかのように。
DSCN3510.JPG この死刑囚の息子孝司の心境の変化は、最初晴美の元夫に、そして続いて頑なな晴美自身の考え方に変化を齎す。

 そして、晴美は知りたくはなかったが、知らねばならない事実に向き合わなければならないと考え始める。ソフォクレスのオイディプスのように、知るべきではない、知れば自分が不幸になってしまう事実を知らねばならない状況に追い込まれてゆく。
 しかしながら、運命の悪戯によって悲劇に追い込まれてゆくオイディプス王と異なり、晴美は利己的であり、自己中心的な考え方をする人間であるように思われる。それゆえにこの心理はより一般性を持っているかもしれない。 
 この晴美という自我の強い利己的な女性を西山諒が好演している。その演技により、死刑執行されてしまう孝司の母親の悲しみが、より一層強調される。
 また、怒りに任せて殺人を犯してしまった孝司。彼は深く愛していたからこそ、裏切られてみちよとその恋人を殺した。過去の過ちは全面的に受け入れ、言い訳はしない。殺しても良い人間がいるという考えそのものが間違っていたのだから。無言を貫いて死んでゆく、そこには孝司という「男の美学」があるようにも思える。よい表現かどうかは別にして、暴走族のリーダーが配下の者全員の責任を取って、自分ひとりが実刑を受ける姿を想像してしまう。「悪いのは俺一人で、俺が全部悪かった。あいつらぁ、関係ねえ。俺がやったこと。」荒川泰次郎が孤独、その寂しさ、悲しさを真剣に演じている。
 殺人者であるからには有罪ではあるけれど、たった一人の愛しい息子が、終身刑にならず処刑され自分よりも先に死んでしまうという苦しみ、悲しみ。この心理を終始一貫て演技したのが栗の里の愉快な女房殿。それを全身全霊で演技したことが
Mention spécialeに繋がったのかもしれない。


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岡本太郎美術館へ行く [日記・雑感]

 20170429 okamoto taro museumDSCN3285.JPG昨日4月29日の土曜日は、午後に近所にある岡本太郎美術館へ行く。岡本太郎は、その絵画の作品や彫刻作品のいくつかを知っている程度で、全体像が見えなかったので、それを知り、果たして自分は岡本太郎をどう思うのか確認するのが目的だった。彼の著書の何冊かは読んでいて、その考え方には概ね共感するにも拘らず、彼の作品となるとどうしても好きになれない、本当に好きになれないのかどうか確かめてみよう、と。
 小田急線の向ヶ丘遊園南口から真直ぐに山に向かい、10分ほど歩くと、右側には日本民家園がある。そこを過ぎて少し登って行くと左側に「かわさき宙(そら)と緑の科学館」があり、ブルーとレインやD51が展示されている空間がある。そこを更に進むとメタセコイアが出迎えてくれる。緑の木々と池の奥に岡本太郎美術館がある。
 天気が荒れるということで、雲行きが怪しかったので、美術館に入る前に野外に展示してある太郎の作品を見た。予想どおりで、全く面白くない。美術館の中にある作品もこんなものなのだろうか、と少し不安になる。
 入口では券売機があるので、そこで自己申告で表示に合わせて画面を押して購入する。券には一般、団体などと表示がされたものが出てきて、それをもぎりの女性が確認するという流れになっているのだろう。
 会場に入ると、最初に迎えてくれるのは大阪万博のために制作された太陽の塔の顔の彫刻だ。少し期待感が高まる。油絵作品が目に飛び込んでくる。例の強烈な赤。赤は血の色で、岡本太郎には子供の頃に大量の血を見るという衝撃的な経験があったそうだ。しかし、どの作品も自己主張が強い割には、個性がなく、何か物足りない。この物足りなさは、変わらなかった。上野にある西洋美術館の松方コレクションにあるピカソの絵も、物足りなさを感じるのだから、それは同じこと。画面が大きいのに、ただ色を雑然と塗ってあるだけ、と言う印象を拭えない。完成度が足りない、と言う感想。岡本ファンにとってはそれがいいのだろうが、私には納得できず、要は好き好きの問題なのだろうと思う。もう一つ、色が汚い。渋谷駅に壁画があるが、あの色もどろどろしいて汚い、だから見たくない。色が綺麗かどうかと言うのは使う絵具にもよるが、それ以上に配色、画家の持っている色彩感覚だと思う。
DSCN3295.JPG 完成と言う点について少しだけ考えてみる。工業製品のように一定の完成イメージ、或いは完成予定図、設計図等があると、それ以下のものは未完成と判断することができる。芸術作品の場合には、この考え方があてはまるのか、と言うと難しい。一見、未完成に見えても、何か施すことによって今ある何かが失われてしまう、そんな時は、工業製品のような完成度に達する前に、完成としてしまうことになるだろう。
 岡本作品の場合どうかと言うと、むしろ完成かどうか見極める前の段階で終了されてしまっている印象が強いのだ。
 太郎は、頭のよい人間なので、頭でっかちの感が否めない。理論が先行してしまうのだろう。今まで人がやらなかったことを自分がやる、と言う意識が強烈である。その気持ちが強すぎて、空回りしているように感じられてならない。芸術と言うのは、他者がやっているかどうか、自分だけがやっていることなのかどうかが問題なのではなく、自分がそれを好きかどうか、それをやってないと自分でないように感じられるからやらずにはいられない、それが本質だと確信している。評価を受けるかどうか、それは自分が決めることではなく、時代と世の中が決定するものなのだ。時代にあっていれば、評価されることもあるのだが、そうでない人も多くいるのではないかと。
 岡本太郎の好いところは、芸術の良し悪しは自分自身が決めればよい、と堂々と発言している所である。海外の有名な権威が推薦しているから、とか、画壇の重鎮が評価してくれたから、と言う判断ではなく、自分自身気に入ったかどうかそれが全てであると宣言してくれたことだと思う。周りを見回しても、実際に自分の価値判断ができない人間の方が圧倒的に多いと感じている。
 また、岡本は、「すぐに評価されないこと」の意味を考えさせてくれる。後世になって判断が決まるものは、同時代人には適切に評価できない。再評価とか発掘と呼ばれるものもそうだ。尤も彼自身は若い頃から十分に評価され活躍してきたのだったが。
 犬の植木鉢(岡本太郎)DSCN3381.JPG岡本太郎の作品で私が気に入ったのは、下絵の描かれたものを強化プラスティック(FRP)で作り、色塗りしたもの、家具や食器などのデザイン、犬の形をした植木鉢などだった。FRPで作られた作品は、色の塗り残しがなく、しっかりと完成されているので、美しい。太郎がデザインしたものは、独特で美しいものが沢山ある。全てがよいのではない。犬の形をした植木鉢は、近所の子供が見に来たというが、遊びがあって面白い。他にも下絵として描かれた油絵を基にした壁画の石膏型。岡本の色彩感覚が好きではない私としては、彼の作り出した形そのものの面白さ、美しさをその石膏型に見いだす。とても魅力的である。
 彼は、創作しながら遊んでいたのだろうと思う。彼の部屋の一部が再現されているが、そこには彼の作った椅子や彫刻作品などが置かれている。なんと楽しい空間だろう。彼のこの遊びの世界は大好きである。
 もし岡本太郎に、うんざりするほどの攻撃的な顕示欲がなければ、もっと好きになれたのにと思う。パフォーマンス、著作活動、壁画の制作などを見るだけでも、魅力的な人間であることは今回再認識することができた。

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