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吉江新二遺作展を見に行く [随想]

SSCN3685.JPG 昨日2017年10月28日の土曜日は、四谷三丁目にあるTS4312で開催中の『吉江新二遺作展』を見に行った。もっと早く行く予定をしていたが、風邪を引いたり、総選挙があったりで昨日行くことになった。
 地下鉄丸の内線の四谷三丁目駅から徒歩1分、サワノボリビルと言う細長いビルの9階。午後二時頃に到着したのだったが、入口には沢山の靴が脱いであって、右側の部屋には年輩女性が並んでずらりと坐っていた。
 伯母が入口にいて、私の顔を見ると、名前までは無理だったが、伯父の妹の息子であることは一瞬で思い出してくれた。90歳を過ぎているとはとても思われない元気さである。母は脚が悪くて、手押し車がなければ外出できないのと比べると、本当に元気だ。
 私はこの展覧会をブログで紹介したいので、写真を撮ってもよいかどうか伯母に尋ねると「あら、なんだかこういうのよく分からないわ。」と言って店主の男性に「なんだか、ブログに載せたいから写真撮りたいって言ってるけど」と繋いでくれる。「どうぞ。」と言われたので、私はどんどん撮る。しかし、三脚があるわけでもなく、十分な照明もないため、大した写真にはならなかった。兎に角、色を再現することが難しいと思った。最初に掲載している絵は、画集によれば1964年『南仏の農家』と言う作品なのだが、青の色が全く再現できていない。伯父の絵の場合、色は特に大切な要素なので、申し訳なく思うけれども、何もないよりはましと考え載せてみる。
SSCN3684.JPG 抽象絵画を多く描いてきた伯父ではあるが、やはり根本には見ている対象があり、それを線や色で遊びながら作品にしている、そういう制作方法に思われる。実際のことは聞く機会がなく分からない。二番目の絵にしても、色を塗っていたら面白い形、配色になったので、取って置いたという感じを受ける。
 作家のノートとかメモとかは創作過程が分かり興味深いと思う。伯父をもっと知りたいと思って、ファイルにある小さな水彩の下絵なども写真に撮っていたのだったが、あまり何でも撮影するのは宜しくなかったようで中止した。
 それでも、縦笛やチェロを演奏する姿の下絵が何枚かあったので、伯父が1948年に描いた『笛を吹く少年』の完成までにはいくつか案があったことが分かったのは収穫だった。
 今回の遺作展に向けてのリーフレットがあるが、そこに伯母が伯父との「つきあい」のはじまりという短文が載せられている。私は伯父同様、伯母が好きなのであるが、この文章を読んで、ますます伯母への関心が強まった。文章によると、 西荻窪駅そばの夜はバーになる珈琲店の店主が「ウチの客で誰が好き?」と尋ねられ「フルートさん!」と言った途端、熱烈に好きになってしまったと言う。なんと素敵で情熱的な女性だろう。

 伯父が当時からフルートを吹いていたことが、これで分かった。( このフルートは後日、伯父が私に貸してくれて、私がフルートを練習するきっかけになった。)伯母の父親は武士の家系、母は商家、江戸時代で言ったら士農工商の、貧乏士族と裕福な商人の結婚で、母は喜んでいたようですよ、と伯母は楽しそうに言う。伯母には姉が二人?いて、「姉たちは美人だったのよ、あたしが一番不美人なの」とも。「母は彫り深い、インド人のような顔だったの。」この不美人だという伯母でも、私の姉や母は伯母は都会的で、洗練されていて、とっても素敵な女性なのだが。伯母は私をこの場にいた都立新宿高校の卒業生(店主以外は全員女性)たちに私を紹介する時「吉江が一番可愛がっていた妹の息子さんですよ。」と、伯父と母の関係をしっかりと説明してくれた。
20171028sat撮影TS4312にてSSCN3682.JPG 母と私は、私が中学生の頃だったか、私の将来のことを相談するために新宿高校の伯父を尋ねて行ったことがある。あれは美術室だったのかどうか、イーゼルや絵具やらが置いてあったような記憶がある。
 その部屋で、伯父はフルートを取り出し、茶色く変色した楽譜を見ながら、バッハの無伴奏フルートソナタの中のサラバンドを吹いてくれた。男子学生が一人入ってきたが、そのまま吹き続け、学生は黙って演奏が終わるのを待っていた。絵を見てもらいに来たようだったが、さっと見て「デッサンがたりないね。」学生は苦笑いして帰って行った、そんな曖昧な懐かしい思い出である。
 左の水彩は、その都立高校の一室からの景色なのかもしれない。何も書かれていないのでそうぞうだけである。それでも、なぜか伯父を思い出すとき、戦後間もない頃の活気に満ちた、将来に希望をもった人々の姿が思い浮かぶのである。木下恵介監督『お嬢さん、乾杯!』に取り込まれている空気が、感じられる。
 ちなみに、伯父は横光利一『旅愁』が好きだと言っていたらしい。20世紀前半は、日本人が欧米文化に対して大いに劣等感を持っていた時代でもあるので、心理的屈折率は、現代の日本人よりも大きかっただろうと思う。

 『吉江新二遺作展』は本日10月29日(日)19:00まで。

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低気圧は、気が滅入りますなぁ [随想]

DSCN3502.JPG スケッチ帳のボール紙の部分に、ふと絵盛そばと掛けそばの絵を描きたくなったので、描いてみる。私は、そばと饂飩だと、どちらかと言うと蕎麦派かもしれない。どちらも大好きではあるが。
 このお店手打ちそば処戸隠は、職人が二人おりやす。一人は盛専門。もう一人は掛け専門でありやす。特に掛け蕎麦は、その量が多いことで有名であります。盛蕎麦の方を一とすれば、十くらい沢山入っています。尤も、ここにおいでの兎どんは、常連客ですが、大喰らいですから、いくらでも食べられます。ちなみに、量を優先していますから、味のほうは保証は致しません。もち、まじゅくても、「このハゲー!」とか「バカかお前は!」などと暴言を吐いてはいけまちぇんよ。
 
 嗚呼、支離滅裂、無責任。言葉は共通認識をもとに、双方の意思疎通をすることのできる、人類の最大の発明。しかし、共通認識しているはずの言葉の意味、定義を個人の解釈というよりはむしろ都合で、どんどん変えてゆくのは、これは病的自己中心主義であります。求むお手伝いさんの求人募集よろしく、求む「丁寧な説明」、事実説明
 
 あぁ、低気圧は気が滅入りますなぁ。
 

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ただ何となく [随想]

 気持ちだけで、全て空回り。今日の絵も、手遊びに描いていたものに、水彩で色付けをしたり、ボールペンやらで線を引いてい20170121DSCN3190.JPGたら、当初の素朴な少女が少し愁いに満ちた女性になってしまった。それで、どうやって完成させようかと迷い始め、放置。今日再び、線を少し引いてみると、明治時代頃の女性風に感じられた。そこで、『一葉青春日記』より抜粋して書き写してみる。
 絵には華やかさを加える為に、金色を使ってみる。金色は、結構好きで、たまに使いたくなる。絵の具の中にアルミの粉が混ぜ込んであるために、見る角度によって光を反射するのが、なんとも楽しくなる。黄金や真鍮の金色とは異なり、光らない方向から見れば黄土色に近く見えるかもしれない。実は、最初はこの女性の周りを蝶々が飛んでいたのだったが、雰囲気に合わないので塗りつぶしてしまったのだ。桜の花が散る、隅田川の土手の風景でもよかったかもしれない。
 絵に文字を書いてしまうことは、印象が固定されてしまうことが難点であるかもしれない。勿論、印象を固定する為には文字はとても有効だ。便器に『泉』という題名をつけて展示されてしまうと、それで一つの作品だと思わされてしまう、作品だと思わなければならないと考えてしまう。便器に過ぎなかろうが、作品だとして展示された時点で作品になっている。ピカソが自転車のサドルに角をつけて『牛』という題名をつけてオブジェを作ったが、あれは誰が見ても牛の頭である。牛の絵を描いて『牛』とするのも、いかにも芸が無い感じがする。不条理漫画を描く吉田戦車の作品に、水泳プールの壁に「プール」と文字を描き続ける少年の絵があるが、プールにプールという文字を書く無意味さが面白い。
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蒲鉾板作品 その1 [随想]

 今年は、久々に年賀状用に蒲鉾の板を利用して木版画。このブログに書き込みをしてくれているKannaさんが年賀状をゴム版版画で作成する予定だという記事をみていて、やってみたいなと漠然と思っていた。それを後押ししたのが野鳥ブログdoudesyoさんの昨年記事の総括版「重大3 名古屋コーチン」DSCN3189.JPGの写真。その赤茶色の鶏の愉快な写真を拝見していて、蒲鉾板で20年振り位になるけれども、小さな木版画を作ってみようという気持ちになった。あえて黒一色にしているので、少しだけ華やかさを出すためにAyoan Igokahのイニシャルの判子を押した。(この判子はシャンペンのコルク栓を使って、昨年夏に作成)送った相手は数人限定。画像にある文章は、『古今和歌集』の冒頭。筆ペンで小さな文字を書くのは難しいと感じる。もっと大きな字であれば、もう少し勢いを筆にのせることができただろうと思う。
 今年の冬休みは水曜日まで、10日以上連続の休みだった。あれこれやりたいと考えていて、少しだけ計画もしていたが、ほぼ未達成。殆ど読み終わっている本4冊を読み終えようと思っていたが、結局は休みが終わってから読み終えることに。模型飛行機(ライトプレーン)を作ってしまおうと思ったが、机の上に一回置いて設計図と部品を確認するだけで終わった。動画や人形劇に使える小さな劇場(ボール紙)を作ることにしていたが、こちらも箱だけ確保して中断。
 一方、B5判と小さいながらも絵は毎日1枚以上は描いていた。これは当初全く予定していなかった。中断していた河童の看板にも取り掛かったが、再び保留に。『風神雷神図』は鉛筆の下絵を終え、それぞれの神に一回目の彩色をする。何度も塗って、深みを出したい、だからこちらも保留になっている。玄関扉を交換したので、それに合わせて、郵便受けに油性ニスを塗ったり、バッタの看板を壁に打ちつけたりした。私という馬は、なかなか川辺に行っても水を飲まないで、道草を食べてばかりいるのである。


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根拠のない自信について [随想]

 ファミレスで会話をしている若者の話として語られていたと思うが、「根拠のない自信」は日常、日々目撃していることに気付く。「俺はやるぜ。誰がなんと言おうが。だって、俺には自信があるからな。未来の俺が、くすぶっている今の俺にエールを送ってくれているんだぜ。」こういう若者ではなくとも「うちの商品は絶対にいいんです。」他社の商品と較べたことも、他社の商品の知識もない人間が、そういうトーク練習を研修で受けているために、自信をもって薦めるのもこれに近似している。
20160923DSCN3114.JPG この行動を表現するのに、ダニング=クルーガー効果※という言葉があり、2000年にこの研究でイグノーベル賞を授与されていることを、ウェブ検索していて知った。「能力のない人ほど自分に欠如しているスキルにきづかず、一流のスキルを正しく認識することができない。」
 更にこういう分析をしているウェブページもあったので、そこから納得の出来る部分を引用しておく。url:http://yagi-coach.com/mindset/zisinganai/
 自己肯定感を高める方法として紹介されているのが
1.自分を責める癖に気付く
2.言い訳や責任転嫁を他者にすることを自分に許す
3.自分を褒める
4.他人の評価を気にしない
5.現状の自分でなく「未来の自分」の立場で思考する
6.自分の強みを知る
7.自分が認められるコミュニティを持っておく

 自分の主張する考えが批判されようが、馬耳東風。逆切れしたり、相手を小ばかにしたりする風をみせる。批判されると感情的になり、明後日の答えをしていながら、自分は真摯に答えていると言い張る。自分の提示した考えが事実上破綻していようが矛盾していようが、自分には一貫性があり正しい、それを認識できないのは批判者の方であると自説を強弁し、譲らない。それを自分の信念の強さであり、実力であると盲信する。一般的にこういう裸の王様は自分を応援する応援団を用意している。本当の自信があれば孤軍奮闘できるのだが、裸の王様は本当はやはり自信がないので一匹狼にはなれないからである。
 そして問題なのは、外見だけでは根拠のない自信家なのか、本物の根拠がある人なのかが分からないことである。少し会話をすることで鍍金は直ぐに剥がれるので分かるのであるが、会話をする機会が不十分であったりすると、鍍金がそのまま本物として通用してしまうのである。鍍金がついたままマスメディアで拡散されてしまうと、それは根拠はないにもかかわらず一つの「常識・共通の理解」としてまかり通ってしまうのである。若者が根拠のない自信を持って頑張るのは、本物になる可能性もあるので応援するが、いい大人が根拠のない自信を持っているのは許しがたい。科学的態度を重んじ、客観性を重要視する身としては、このような根拠のない自信は防がなければならないと考えている。

※ウィキペディア:ダニング=クルーガー効果: Dunning–Kruger effect)とは、未熟あるいは能力の低い個人が、自らの容姿や発言・行動などを実際よりも高く評価してしまう認知バイアス。自己の「愚かしさ」を認識することのメタ認知(公正かつ冷静な振り返り)ができないことによって生じる[1]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C


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後悔をしないために [随想]

 NHKの職員の多くは良識的で、本来の公共放送の存在意義を充分に理解していると信じている。そして、12月20日に放送された『新・映像の世紀第3集時代は独裁者を求めた』については、それがはっきりと表現されたと感じた。彼らが危機感を持ち、必死に伝えようとしているもの、それを私も共有できた。ニーメラーの次の詩も紹介された。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 今更ながら、12月上旬に私は朝日新聞から東京新聞へ切り替えるための連絡を朝日新聞取扱店に連絡した。若そうな男性の声が残念そうな声で言った。「分かりました。理由を教えて頂けますか?」
「私は30年以上朝日新聞を購読してきました。朝日新聞の社員の殆どは、真のジャーナリズムを理解している、良心を持った人々だと考えています。しかし、何ですか。昨年の特定秘密保護法以降の報道姿勢は。まるで、政府の公報機関に堕してしまているではないですか。」
「実は、昨年以来、購読停止が何件もあるんです。」
「私は、多くの社員は信用しているんです。政治的圧力に屈している経営陣が許せないのです。朝日新聞は戦後、戦前に戦争協力する一方的な情報に基づく報道を行い、国民を間違った道に導いてしまったことを痛切に反省し再出発を誓った、そうではありませんか。それがなんですか、今は。『公平』と言う都合の好い言葉に尻込みして、圧力を受けたまま、当らず触らずの報道ばかりしているではないですか。」
「・・・」
「その事への抗議として、一読者の意思表示として、朝日新聞の購読を止めます。」
「分かりました。同じように言われる人は多いのです。しっかりと、報告しておきます。」
このようなやりとりがあった。彼の対応には、誠実さが感じられたので、少しほっとした。もし、新聞取次ぎ店の人々までが妙な対応をしたとなれば、政府の言論に対する圧力が会社を通じてそこまで及んでいることになるからである。

 それにしても公平や中立を求めるのが、政府側の人間であるとは。それらを求めるのは弱者であろうに。
 そう言えば、現違憲状態首相の大叔父も、辞任に当って報道陣を退け、話題になった。

  ALL ANIMALS ARE EAQUAL
 BUT SOME ANIMALS ARE MORE
  EAQUAL THAN THE OTHERS

 George Orwellが”Animal Farm”で書いたように、権力者は言葉の意味を自分の都合に合わせて変更させる。

 Speech is gold, however, silence is lead.20151216DSCN2999.JPG
 
 この絵は、昨年来の日本の政治、政治家達の発言などを一つの型に入れて描いたものである。愛想笑いする男の黒子なのか、はたまた監視カメラのようなものなのか、解釈は自由である。
 杞憂であることをどれだけ望んでいることだろう。しかし、物事は彼らが計画した方向に、現段階では近付いている。8年も前に、斎藤貴男氏は『報道されない重大事』(ちくま文庫)のはしがきで、「前年の十月に発表された自民党の新憲法草案は、国の交戦権を否定した九条二項の全面的な書き換えや、国家権力の暴走を抑えるための憲法という近代立憲主義の原理原則を覆して国民の生き方規範にするとても言いたげな強権的法体系へのコペルニクス的転回が図られていることに照らして、あまりに危険な情勢であると強調せざるを得ない。」と述べている。
 沈黙は決して金ではない。訥弁でもよい、自由、博愛、平等、正義を求めて発信してゆけば、それが金である。そのように強く感じている。




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忘却は悪である [随想]

 忘却は悪である。悪事をした場合には、常に思い出さなければならない。忘却は臭い物には蓋をするのと同じである。過去に向き合わず、直視せず目を背ける者は勇なきものなり、と信ずる。過去に犯した罪に眼をつぶる人間は、臆病者であり卑怯者である。そして、彼らがどでだけ威勢のいい発言をしようが、彼らの本質は惰弱な臆病者に過ぎないと言う事実は変わらない。
SSCN2933.JPG 今日の絵は、そんな人の代表であるある人物を描いたものである。しかし、肖像画ではない。彼の言動を象徴的に、少し抽象的に描いてみたのだ。特定は出来ないだろうが、絵の中に幾つかの鍵が入っているかもしれない。それらが鍵として認識されなければ鍵の役を果たすことができないのだが。そんなことは多い。馬耳東風。
 弱い人間は、同類を求め、自分を批判する人間を遠ざける。どの分野、世界に於いても当てはまる。自分を説得してしまう人間を忌避する。自己批判、反省の出来ない人間、その人物から助言者、賢者を遠ざけるとどのようなことになるか。暴走列車が自走して衝突すべき対象の出現まで走り続けるか、脱線して止まるか。いずれにせよその機関車に引き摺られる人々はたまったものではない。When will they ever learn?
 ハロウィーンの仮装に興じている場合ではないのかもしれない。
 心が病んでいる人間は、型にはまっていることがお好き、彼自身が予測できることだけが起こる事を望む。予想外のことが起こることが嫌い。彼が理解したとおりに行動しないと、腹が立つ。なんとなれば、彼は他者の痛みを考えたことがないから、弱者の立場になって考えることができないから。金を儲けることはよいこと、たとえ他者を犠牲にしても、他者が犠牲になっても、なぜならこの他者たちには自助努力が足りないだけだから。自らを助けることの出来ない人々は、その存在自体が正しくないから。
 今日の絵はB4判。水彩絵具、色鉛筆、黒のマジックインキ。

 


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2014年と言う年 [随想]

 2014年と言う年は、しっかりと記憶しておかなければならない。これから日本や世界が変な方向に向かってゆかなければ単なる杞憂に終わるわけである。そして、杞憂であることを信じたい。日本は戦争ばかりしているアメリカとは異なるのだと。しかし、楽観的にそのようなことは言っていられない状況になりつつある気がして、心が穏やかではない。そのせいか、12月にはB5判ではあるが、12枚以上の絵を描いた。11月には8枚、10月には6枚、9月には5枚。目標があるわけではないので、何枚くらいこれから描くのかは分からない。
Year 2014.JPG そして、今日の絵はB4判に、いつも通り、クーピーペンシル、水彩絵具、色鉛筆、赤と黒のボールペン、修正液、そして今回は発色をよくするためにショッキングピンクと黄色のマーカーを使っている。ゲオルゲ・グロッスではないが、風刺画風になってしまった。線を引いて色を塗って一旦11月に完成した後に、昨日12/29にアルファベット文字を描きいれて完成とした。どうしても、2014と書き入れたくなったのである。SDSとRCSDは形としては完了形になっているが、TPPは進行形である。
 実は、10月や12月のB5判の絵の中には、それらを考えたために心が落ち着かずに描いたものがいくつもある。今年2月にB5判の大学ノートに描いた飛行機や軍服姿の男達の顔の漫画風の絵もある。いつか紹介する機会があるかもしれない。ないかもしれない。
 仕上げなければならないもっと寸法の大きな絵が、画架の上で待っている。完成させることができないままになっている。
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T叔父の思い出 [随想]

2014-11-24 月曜日 T叔父の思い出

 その知らせを聞いた時、私は驚きはしなかった。今年に入ってから、既に、大分悪くなっていると聞いており、このような事態は予想できたからである。

T叔父は父の一番下の弟である。戦後の混乱の中を生きてきたのは父と同じであるが、父が北海道で十六年居たのに対して叔父はずっと世田谷にいた。亡くなるまでには仕事上のことなどで確執やいろいろなことがあったが、最終的にはそれなりに幸せな死を迎えることができたのではないかと感じている。

Uncle T 2014-11-24.JPG父方の祖母は神戸で『死線を越えて』の賀川豊彦に傾倒し、キリスト教徒になったが、曹洞宗の祖父と結婚し、その後信じている宗教が曖昧になっていた。結局祖母の葬儀は仏教で執り行われた。しかし、その祖母の影響があったのだろう、叔父はキリスト教に大いなる影響を受けていた。そして、数年前に洗礼を受け、クリスチャンになった。

叔父のためには牧師によるお別れの会が催された。皆で賛美歌を歌ったり、聖書からの引用文が読まれたり、牧師の話があったりした。友人による故人の思い出話があったのもとても好かった。火葬の際も、荼毘に付される前に焼却炉の扉の前で牧師の誘いで、皆で賛美歌を歌って送った。私は、何と心の籠もったお別れの会だろう、叔父もきっと喜んでいるだろうと思った。この牧師は私の義理の甥である。

叔父についての思い出を、友人達が語っていた中で、一つ特に印象に残ったものがある。友人Hさんの話によると、叔父としては大学の文学部に進学を希望していたが、祖父の意向で、大学へ行かずに祖父が起した会社で一緒に働くことになった。そして後年、会社の経営を任されることになった叔父ではあったが、実のところ本人は経営は好きではなく料理人になりたかった。定年後、中学校時代の仲間が自宅に来ると叔父は厨房に入り、料理を作った。叔父が料理を出すと仲間が「一緒に食べようや。」と言うが、叔父はあまり一緒には食べなかったようだ。仲間が旨い、旨いと言って食べているのを見るのが好きだった。叔父の料理はとても美味しかった、と代表で挨拶をされた友人の方が話していた。Hさんは、アメリカに行った際にテンガロンハットを購入し、叔父への土産にしたそうだ。

叔父の娘、私の従妹Sの話では、子供達にとても優しかった。Sによると、小さかった頃彼女が自動車のドアを勢いよく閉めた時、叔父の指が挟まってしまった、しかし叔父はSが決して心配することがないように大丈夫、大丈夫と言った。が、実は骨折していた、と言う話。自分に当てはめて考えることのできない話である。

私の叔父の思い出は、アメリカのウエスタン音楽を仲間と楽しんでいたこと、バイオリンを弾いていたこと、祖父の車ヒルマンを運転していたこと、冗談が好きな人だったこと、軽妙な話し方でその場を明るくする人だったこと、賛美歌の一つを関西弁で歌った(イエッさんわてらを好いてはる、イエッさん強いさかい、わてら弱くとも、恐れることあらへん、わてらがイエッさん、わてらがイエッさん、わてらがイエッさん、わてらを好いてはる(うろ覚えです))こと、などである。叔父にはどこかアメリカを感じさせる雰囲気があった。残念ながら、随分離れていたのでこれくらいしか覚えていないが、書き留めておく。

       * * * * * * * * * * * * * *

話はまるで変わるが、堤未果『沈みゆく大国 アメリカ』(集英社新書)2014-11-14発売を読む。この書はアメリカ発皆保険制度オバマケアの実態と諸問題について扱っている。「無知は弱さになる。」は事実だと思う。1214日の投票に行く前に、一人でも多くの人々に読んでもらいたいと思う本である。

http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%88%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8F%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%A0%A4-%E6%9C%AA%E6%9E%9C/dp/4087207633


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Arto estas longa, vivo mallonga.エスペラント語 [随想]

20140621.JPG 私はエスペラント語の勉強を再開している。大学書林の『エスペラント語4週間』を購入したのが2011年9月15日、神田の三省堂書店である。エスペラント語と言えば、第一に宮澤賢治、第二に祖父の起した会社のエスペラント名Kurba Gravoである。小学生の時代から馴染みのある世界共通言語である。中学2年生の時、世田谷の砧図書館へ本を借りに友人のK君と行った。その時、エスペラント語の本を探していたのは私だったが、K君が見知らぬ中学生から「君、エスペラント語に興味があるんだ?」と声を掛けられ沈黙していた。私が「宮沢賢治なども使ったらしいので興味があるんだよね?」とK君に助け舟を出した。そんな思い出がある。
 さて、2011年大地震のあった年の9月に、私はとうとうエスペラント語の学習を始めたのだった。中学校時代は英語が全く苦手だったので、エスペラント語どころではなかったのが実情である。更に、私は当時『ルトリア8国物語』を構想し、書き始めていた。だらか、英語も満足にできないのにルトリア語なるものを勝手に創造していた。尤も単語だけであったが。親友が「英語以外にこんな物も覚えなくっちゃならないの?」と嘆いたのが印象的に記憶に残っている。例えば、貨幣単位オリバコルとかルトリアの妖精たちの名前など。
 今回の写真は、昨年か一昨年か連休に作り始めたバッタの看板を、本日やっと完成させることが出来たので、それを撮ったものである。貫板を二枚裏で留めた板に彫刻し、彩色したものである。昨年にも色を塗っていたのだったが、その色が気に入らないので完成させずに放置しておいた。こんな風にして放置されている物はいくつもある。河童小僧の看板も放置して既に何年も経過してしまっている。水飲みの虎の小屏風も中断してから4年位以上経ってしまっている。完成させることができないのは、その作品の中に私にとって克服しなければならない阻害要素が入っているということなのだ。気持ちよく完成まで進めることの出来ない、ちぐはぐ感が残っている。それが何かを捉まえることが出来なければ、或いは線を引いたり色を付加することで打開策が見つからなければ、完成することが許されない。
 だから、今回一応ながら、完成させたという気分になっていることは嬉しいことである。Arto estas longa,vivomallonga芸術は長く人生は短い。この諺は父方の祖父が時々口にしていたと祖母が言っていた。この祖父は発明家だったが、若い頃は情熱的で、詩集なども読んでいて、気に入ったところには傍線や丸が書いてあったそうである。
 本当は、先週観にいったバルテュスに刺激を受けたので、昨年末から描き始めている題未定の少女の絵を完成して発表しておきたかったのだが、腕の角度を少し変え、髪の毛を少し丁寧に描き足した位で、先に進めることができない。この絵はもっと後になるのかもしれない。


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