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隠し絵(騙し絵) その3 ぱっと見は怖いけれど・・・ [絵画]

20170722DSCN3511.JPG今日の絵は『ぱっと見は怖いけれど・・・』と言う題名にしてみる。一昨日の夜描きはじめ、昨夜手を加え、今日更に手を加えて一旦完成。当初は、二頭の馬、あるいはライオンが向き合って立っていて、そのシルエットが女性の顔になるような絵にする積りだったが、既に描かれている隠し絵によく似てしまっては意味がないと、あれこれ模索しているうちに(実は大して模索していないが)このような絵に落ち着いた。類人猿らしき顔をどう描き出すかに苦労した。使用しているのは、いつも通りクーピーペン、水彩絵具、筆ペン、色鉛筆、黒、青のボールペン。今回は修正液は使っていない。

 今日、あるテレビ番組でT氏と某政党代表との対談を聞いていて、こういうのを詭弁と言うと改めて思った。
 A氏の発言、某政党総裁としての発言と総理大臣としての発言は別物だ、だから憲法改変について某政党総裁として発言するのも自由だし、A氏の指定した新聞を読んでくれ、と言っても法律上は問題がないのだ、と言う。国会という「公の場」で発言したのでなければ、例えば、これはあくまでも極端な例であり彼がそう言っているということでは全くないが、自分がファシストであるとか、女性差別に賛成であると発言しても好いと言っていたように聞こえる。ここまで極端であれば、もっと激しく問われ、問題視されるであろうが。某政党代表の論法は、古代ギリシアのソフィストと同じだと言わざるを得ない。詭弁が通用するような世の中になる(=強弁が通用するようになる)と、民主主義が弱体化される。

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隠し絵(騙し絵)その2 おい、てめえら、背中の上で遊ぶんじゃねぇ [絵画]

2017-07-16DSCN3508.JPG 久々の三連休。『Her Mother』のDVDを3回見る。この映画については別途許される範囲で紹介したいと思っている。
 どうも、先週は連日の真夏日の酷暑に当ってしまったようで、折角の休みが体力の回復に費やされるという空しい日々。それでも、手遊びに、小さな画帳に線を走らせる。これが、実は一番落ち着くのだ。
 今日も露骨な隠し絵。前回公表した絵には12匹の猫がいるが、この絵ではたったの・・・匹しかいない。隠し絵が、本来最初に見出してくれる線が細いと意味がないと考え、今日は筆ペンを使い、目鼻口の部分は線を太く、強調しておいた。題名は『おい、てめえら、背中の上で遊ぶんじゃねぇ』である。大将猫が昼寝をしている背中の上で、子分や仔猫たちが遊んでいる長閑な風景である。
 猫が寝ている姿は、どうしてあんなにほっとして、気持ちが安らぐのだろうか。
 帰宅する時、車があまり通らない細めの道を通るようにしている。本道からその道へ左折してゆくところに惣菜屋があり、向かい側にはゴミの収集場所がある。そこには、いまでは大分大きくなったが、4匹ほど野良猫が住んでいる。アスファルト道の上に少しずつ離れて坐っている彼らに毎晩挨拶を

するのだが、近づくと必ず逃げられる。近づかなければ逃げはしないのだが。野良猫が取る絶妙な距離。残念ながら、近寄っても来ないし、頭を撫でさせたりもしない。その冷静さ、冷淡さが好きである。
 雨の日には雨宿りをしているために、見かけることはない。
 尚、時々少し大きな動物が道を横切ることがあるが、それは狸である。一度だけ、数十年ぶりだが、鼬を見た。そのシルエット、尻尾の長さから、鼬である。テンほど大きくない。

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隠し絵(騙し絵)2017-07-09 [絵画]

20170716DSCN3507.JPG20170709DSCN3504.JPG 5~6年前に、何枚か連続して描いていた隠し絵。久々に小さな画帳を見ていて描きたくなって寝る前に描いてみる。今回は、2017年7月9日に描き始め、今日7月15日土曜日に色塗りを終えた絵である。頭から首、肩まで猫づくしとし、一匹ずつの大きさは余り変化を付けないで描いてみる。
 背景の色塗りをしていたら、ゴッホの陽炎のような線が出てきたので、そのまま活かすことにする。別段、ゴッホを意識したわけではなく、結果的にそのようになったので、深く考えずにそのままにする。
 この絵は、女性の肖像画であるが、特定の女性ではなく、手遊びに描いて浮かび上がってきた女性である。猫が溢れているだけだが、その形が女性的なものを感じさせる気がする。意図していなかったにも拘らず、なんだかどうも艶っぽい絵になってしまっている。自分の絵を少し見ていたら、アングルの『トルコ風呂』を思い出し、女性ばかりで描かれたあの絵のような艶かしさを感じる。ひょっとしてアングルのあの絵は騙し絵、隠し絵だったのか、などと考える。が、そうでもなさそうである。
 隠し絵で一番描きやすいのは、私としては植物を使う方法である。好きなように樹木や草や花を捻じ曲げて、描くからである。5年前に小鳥で女性像を描こうとして果たせず、結果的に今回樹木で描き直してしまった絵がある。これは敗北かそれとも妥協かあるいは止揚なのか。^^
<追記>写真にすると線が不明瞭な部分があったので、先ほど改めて線を強調して、白色灯の下で写真を取り直す。光と強調した線により印象が変わったと思う。序でに署名もしておく。(2017-07-17)

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舞踏会 2011-3-20頃 [絵画]

2011-3-21DSCN3503.JPG 未完成であるが、既に一度仕舞い込んでいた絵。思い浮かんだ題名は『舞踏会』あるいは『舞踏会への勧誘』。日付を見ると2011年の3月下旬に描いていたらしい。
 日付と記入しておくことはとても大切だと思う。自分が時代の流れのどの位置で、何をやっていたのか知ることができるからである。『獄中記』(佐藤優著 岩波現代文庫)によってもよらなくても「歴史哲学とは後知恵の世界である。現在生じている出来事の意味を理解することは誰にもできない。出来事が終わってから、優れた哲学者がその意味を解明することができるのみである」(p447)その出来事の真っ只中にいる場合、その事となんらかの関係があるかどうかにかかわらず、何が進行しつつあるのかははっきりは分からない。歴史となった事実は、さながら進行形にある台風を、宇宙衛星などから客観的に観察しているように、離れて見なければならない。
 ある出来事が、後年大きな事件に発展したり、歴史を変える端緒になっていたりするが、それは結果的にしか確認されないのである。どんなに賢い人間が正しく予想していたとしても、それは予想に過ぎず、結果が予想に合致して初めてその予想の正しさが認知されるに過ぎない。特に、何が正しいかは別にして、相反する考え方(最低限二つ)に基づく情報が公平に流されないと、一方通行の情報に基づく体制ができてしまうと、これは間違った判断をするためのお膳立てのようなものである。
 奴隷は奴隷であると言う自覚がなければ、肉体的精神的苦しみも、自分が奴隷であることに疑問を感じないだろう。一方的に作られた道徳、思考方法を最初に教育されていて、それをそのまま受け入れる人間であることを幸せと感じる人間もいるかもしれない。生きていられれば幸せ、作られた価値感の中で行動することが幸せと考える人間も多いのかもしれない。
 
 「あっ、ちなみにおいら、自分の頭使って生きてますよ。」と愛犬ホグホグちゃんが言った。

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そこんとこ、日曜日(Sonntag)よろしく! [絵画]

2017年6月2日に描いた絵。題名は『そこんとこ、日曜日Sonntagよろしく!』June 2, 2017DSCN3485.JPG。この兎、最近結構登場するようになっているが、可愛い兎ちゃんとは大違い。アメリカの『うさぎどんときつねどん』に出てくる兎のような、悪賢い兎であります。兎ちゃんの好きな人には申し訳ないのでありますが、どうも、この絵では、そうなってしまうのでありますから、ご寛恕のほどを。この絵では、背景がムンクの『叫び』のように、なんだか不安を掻き立てる斑の雲が覆っているのであります。
 私が、こんな兎を描きたくなくなれば、大分暢気に過ごせる世の中になっているということなのでしょう。しかしながら、暫くは、面白いことではありませんが、この兎が衣裳やら人相を替えて登場することになるのでしょうか。

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無題 [絵画]

20170522DSCN3482.JPG 2017年5月22日に描いた絵。左に犬を連れて帽子を被っているのは私。気付かぬうちに、黒い影絵のような人物を時々描くようになっていた。これは、もう完全に私自身であることが分かった、後から。描こうと思って付け加えたのではなく、必然的にそこに描かれることになっただけである。
 この絵の裸の男は、悪夢のような現実世界でひばしば見る男である。彼の顔は正視できないほど嫌いであるが、正視しないと危険なので敢えて見ているのかもしれない。危険なものから目を背けてはいけませんよ、何をするか分からないからしっかりと監視していなければなりませんよ。不断の努力によって、勝ち取った物は守らなければならないのだから。勝ち取っていなくとも、自分たちが与えられた自由は、不断の努力によって守らねばならない。
 この絵の題名をつけるとしたら『月夜の散歩と性的倒錯者の告白あるいは月夜の巡礼』になるかもしれない。
この絵以外にも、B5判の画帳には、もっと分かりやすい、明々白々な主張の入った絵もあるが、描きこむ気が起きなかったので、色を塗って一度仕上げたままになっている。気が向いた時公開するかもしれない。
 帽子を被った影絵の私の隣にいるのは、愛犬ホグホグである。彼は私にいつも付いてきてくれる忠実な犬である。我が家DSCN3483.JPGでは犬を飼ったことがないが、と言うのはいつの間にか、猫がいつくようになってしまうからだが、実は私は犬の方が好きなのである。犬派と猫派、どちらかと言われたら、私はむかしから迷わず犬派だと答えていた。にも拘らず、犬を飼ったことがない。猫がいるので、犬を飼うことができないような気がするのだ。この程度の犬派なのである。それでも、犬を連れて散歩している人がいると、ついその犬を見てしまう。ちなみに、私は、犬も猫も雑種が好きである。血統書つきのペットは、基本的には好きになれない。人工的な印象がつよいからだ。より自然なものが好きなのだ。
 植物も、観賞用の売られている植物よりも、路傍の野草、野原に生えている野草の方がやはり好きである。単一の植物が植えられている花壇よりも、自生した野草が咲き競っている姿の方が好きだ。子供の頃は、花壇に咲く花が美しいと教わり、実際に美しいとも思ったものだ。食べ物でもそうだった。濃い味、甘い味が好きだった。食材本来の味を楽しむよりは、美味しいとされている濃い味付けのされている物の方が美味しくて食べやすかった。しかし、最近は、食材そのものが持っている味を確認しながら食べる方が楽しく感じる。勿論、濃い味、人工的な味は美味と感じてしまうのではあるが、これは他の人と同様に美味しいと感じる味覚が同じようにできているのだから避けることはできない。
DSCN3484.JPG ギターの練習は、少し時間が減っている。昨日は弾く時間がなかった。技術が落ちているかと思ったが、今日弾いてみたらそんなことはなく、むしろ練習していた部分が僅かではあるが定着していることが分かった。何より、気圧が低くなると、指がもつれ、頭が回転しなくなる。気圧の影響の方が遥かにその日その日の出来に大きく影響する。梅雨の時季は特に好調不調の差が大きく、辛い日が多くなる。
 
 ところで、左の絵の中の男と犬、影絵の男と愛犬ホグホグは、これから描く絵のいくつかに登場することになるだろう。空間の共有者として、目撃者として、証言者として.

或いは私と言う人間ではなく、頭の中で妄想された預言者として。
 今日は、稲城市城山文化センターに行って来た。sigさんが制作された『三沢いきものがたり』(85分)と言う記録映画を見るためである。会場は100人ほどの定員であるが、予約で早々と満席になっていた。私は、当日並ぶことになったが、運よく席を確保することができた。
 三沢川で撮影された風景、植物、動物、昆虫たちがsigさんの愛情を込めて編集されていると感じた。青大将とカラスの決闘なども緊張感のある映像になっていた。また、青大将が道路脇を進んでゆくところを、雀の子供が面白がって飛び跳ねながら付いてゆくところなどは、本当にはらはらしながら見てしまった。自転車が途中でこのニ匹の間を通過したので、雀の子供は事なきを得てほっとしたのだが。コサギたちが20羽位だろうか、塒として使う木があったり。6年間撮り貯めた映像が、ふんだんに使われ編集されて、ゆっくり観察すると町の中にも多くの自然があることが分かる貴重な映像作品だ。

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Pythagoras Switchピタゴラ・スイッチ [絵画]

20170530pythagoras switchDSCN3450.JPG PYTHAGORAS SWITCHピタゴラ・スイッチ。直接手を下さなければ、因果関係を否定できるらしい。しかし、間にいくつもの過程をいれるかによって、因果関係は特定できなくなるのだろうか。それを解き明かすのは徹底した原因追求、究明である。学者は真理、事実、原因の追究、解明が仕事、本分である。諦めてはならない。
 私は、子供番組のETV『ピタゴラスイッチ』が大好きである。自分でも、あのような装置を作ってみたいと何度も思った。が、実際には、また試したことがない。
 右奥にいる兎は、鉄球を引っ張って、振り子のようにして彼から離れているもう一つの鉄球に当てるだろう。そうすると螺旋上になった樋を伝って鉄球は下に落ちてゆき、最後部にいるトランプの兵隊の背中を強く押すだろう。そうすると彼はつんのめって、前の兵隊を突き飛ばす。トランプの兵隊たちは次々に将棋倒しになって前に傾く。先頭の兵隊は、転んではいけないと思って、前に手を伸ばす。そうすると、たまたまそこには電池で動く模型の電車があり、そのスイッチレバーを前方に押すだろう。電車はゆっくりと前に進む。鉄路は途切れていて、停止のブロックが置いてあるので途中で止まるだろうるが、電車はその屋根に取り付けられている針で風船を割る。風船が割れると、二個の風船の間に挟んで留めてあったもう一つの風船が解き放たれて、上に飛んでゆくだろう。その下には、小さな火薬の包みが取り付けられている。秘密兵器「風船爆弾」にも似ているかもしれない。この風船爆弾はどこかへ飛んで行って、小さな爆発をするかもしれない。そこに人がいれば、ちょっとした怪我をするかもしれない。怪我をした人間が、兎に弁償するように要求すると、兎は「何もしていない。風船爆弾を飛ばしてはいない。」と言うだろう。直接、自分が何かしたわけではない、だから自分は責任は負わない、とれないのだと。なるほどね。

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お客さん!付けにはできませんよ! [絵画]

2017-01-24DSCN3449.JPG今年2017年1月24日に描いた絵。

どうもこの二匹は、散々飲み食いして、楽しい時間を過ごしたご様子。金も払わずに、帰ってゆこうとしている所。
鳥の女将さんが、

「お客さん、付けはききませんよ!さっさと、払ってくださいよ!」というのだが。

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いよっ!大婚約者!土俵入りの巻 [絵画]

20170518いよっ!大盗領!土俵入り。DSCN3448.JPG このところ連続して描いているのが、人形のようなロボットのようなもの。題名は『いよっ!大婚約者!土俵入りの巻』である。ロボット猫と蟹ロボットが大婚約者の登場を声援で迎える。彼の上にはやはり二羽の飛行ロボットが旋回する。
 偉大なる婚約者は、ファウスト博士よろしく、その魂を彼の大好きな人々に売ってしまっているので、彼等以外のことは眼中にない。誰と婚約したかと言うと、八方美人の危険な女性で、彼女はいつも護衛の代わりにライオンと熊を連れて歩いている。どこに行く時も彼らがこの女を守ってくれるのだ。彼女は、このライオンや熊が活躍する場所を作りたくて仕方がない。とても強い、ライオンは人間なんか一口で噛み殺すことができるし、熊は強力な前足で牛の首を折ることができる、と言った商人から買った。だから、その実力を試してみたくてしかたがないのだ。さながら、剣闘士が死闘するのを見て喜んだローマ市民たちのようなのだ。彼女にとって、平和に死ぬことよりも、戦って死んだほうがはるかに輝いてみえるのだ。病気で死んだり、怪我をして死んだり、線路に落下して轢かれて死んだりするのは全く美しくないし、許されざる種類の死だった。平和に、身内に看取られながら迎える死、そのような死は好きになれなかった。
 偉大なる婚約者が彼女に惚れたのは至極当然のことであった。価値観が全く同じだから。彼の頭は中身を抜いた缶と一緒で空っぽ。更に悪いことには、黒い煙が出ているのだ。頭と呼ぶべきかどうか分からないが、この最上部のパーツの何かが燃えているようだ。早く消し止めないと、大婚約者は、自分が歴史に名を残す名優だと思って、更なる愚行を続けるだろう。
 猫も蟹も、鳥達も、いい加減におだてたりするのをやめよ!

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偶成 [絵画]

20170514DSCN3447.JPG 今日の絵は昨日夜に描いていたものを仕上げた。この生き物は口が二つあり、一つは舌が二枚あり、あることないこと喋りまくるために多用される。時々、感情のコントロールができなくなることがあることが知られている。もう一方の口は、都合の悪いことは一切口外しない至って頑固な口である。何を聞かれても、le mondeに書いてあるとか、New York Timesに書いてあるからそれを読んで欲しいと、教養を見せびらかすのである。そして、この口は決して質問に対する的確な、簡潔な答えができない構造になっている。そのようにプログラミングされているので、他者の干渉は全然受け付けないようになっているのだ。これらの口は、口ではあるが、用途が全く異なるために、通常の位置についていることができず、また、自分自身の顔の中であるにもかかわらず、両極端に移動してしまったのは、実にウェゲナー博士の大陸移動説の通りなのである。ゴンドワナ大陸は、地下のマントルの流れ、論理に従って、都合のよい場所に移動するのである。右側に見える閉じられた口は言葉を発する必要がないので、上顎も下顎も不要である。そのため唇のみが右側の空間に移動してしまったのであう。顔の下に見える髭は、本来鼻の下にあったのであるが、口が移動してしまったために、右の唇に付くべきか、はたまた左側の二枚舌のある口につくべきか判断ができないで、まるで唇のような形をしている(=擬態している)のである。その他の顔の部品も、福笑いの部位よろしく、むしろキュビスムの絵よろしく、各々が自己主張し続けるのである。蝙蝠は日和見の象徴かもしれない。この生き物は、自分の思うようにするのを鶴首して待っていたので、ろくろ首のようになってしまったのかもしれないが、そんなことは許しませぬと一寸法師が針の剣を抜いて制止しているとか。
 このような絵を描くつもりはなかったのだが、自然と出来上がるものについては拒否してはならない、生まれるべくして産まれてきている作品なのだから、などと自分自身を甘やかしている。
 連休中に、川崎市市民ミュージアムへ行ったり、芦花公園にある世田谷文学館にムットーニ・パラダイス(自動からくり人形)展を見に行ったりして、今回は大いに刺激を受けてきたにも拘らず、そちらを纏めることができない。特に、従妹が知らせてくれたムットーニ展の方は面白かったので、休み明けに職場で二人の人々に行って見てはどうかと薦めてしまった。

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