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短編映画用音楽『引越し おバカさん、さようなら』 [音楽]

 映像作品を作りたいと思いつつ、なかなか進まない。先週末書き上げた『引越し おバカさん、さようなら』の感想も貰うことができた。感想に対する私の制作意図的な内容説明を送った。こういうやり取りは、非常に刺激的で、一人で全てをやっているのとは大きく異なり、有意義だと思う。
 頂いた感想を念頭に入れ、直すべきと思われる箇所を書き直しした。そしてエンドロールを想像していたら、エンドロール用の曲が頭に浮かんできたので、これは書いてしまったほうが良かろうと思い、直ぐに取り掛かった。三分の二ほど完成しているので、早速MP3に変換してみる。
 この曲が流れるのは、姉弟二人が、引越し後の掃除を終えての帰り道、少しだけ赤くなった西の空、夕方の町の景色を背景に歩いている場面である。



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あれこれ [日記・雑感]

20180318sunday DSCN3816.JPG 短編映画用のシナリオを書き始めている。既に書いておいた『傘の反乱』を何人かに読んでもらっている。そのうちの一人からは今日時点ではまだ返信がないが。それらの感想を参考にしながら、推敲をしてゆこうと思っている。

 自分の場合、映像作品は詩とは大きく異なりリアルであることが非常に重要だからである。超現実的な作品であるとしても、骨格はリアリズムでなければ説得力がなくなる。栗の里の愉快な女房殿にも意見を求めたが、実に尤もな指摘をしてくれた。主人公の生活、生き方、人間に普遍性がなければ観客は感情移入ができないので、作品を離れて見てしまうことになるだろう、というのだ。全く言う通りで、その観点からは一部文章を入れ替えようと思っている。仮に有る人物が妄想を抱くにしても、極ありふれたそこいらにいる人間が抱くのと、見るからに怪しいオタクのような人間が抱く妄想とでは意味が異なるだろう。
 実際に自分が映像作品を作ることを前提に改めて読み直してみると、かなり実現が難しい部分がある。作り上げることを優先して、難しい部分を全部省略してしまったら何のために作成しているのかが分からなくなる。面白みがなくなる気がして、悩み始めている。
 そして、逃げるように、あるいは打開策として、別の作品を書いてみた。『引越し―おバカさん、さようなら』(10分位になるか?)である。大学生時代の経験を少し味付け、色付けをして描いてみた。自分としては悪くないと思っているのだが、この作品も女房殿からは厳しい指摘があるかもしれない。演じる側からの貴重な意見なので、耳が痛かろうが聞かなくてはならない。
 その後は、他にも20年以上前に書いた短編の『熱帯魚を飼う哲学者』、あるいはサキの『開かれた窓』の翻案などを書いてみることも考えている。
 Movie Studio 14 Platnumで一番使えそうなのはクロマキーと言う合成技術であるが、どうも使いこなすことができず、一旦中断している。上手合成できたり、まったく合成できなかったりするので、正しい操作ができていないのだ。落ち着いてやらなければ、と思いつつ、後回しにし既に一週間以上経ってしまっている。


※今日の絵は、今日描いた。大捕り物の絵。実現を念じて。

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春本雄二郎監督作品『かぞくへ』 [日記・雑感]

DSCN3815.JPG 昨日3月3日土曜日は、渋谷のユーロスペースで上映中の『かぞくへ』を観に行く。実は先週行く予定にしていたのだった。初日は監督や俳優達の舞台挨拶もあり、きっと混むだろうと予想して午前中にユーロスペースに状況を聞いたところ、なんと145席中90席が既に埋まっていると言う。午後9時からなのに、この状況ではとても夕方のこのこ出かけて行っても坐ることができないだろうと諦める。夜中にtwitterで状況を確認すると、なんと満席で立ち見も出たと言う。
 昨日は、念のために上映開始の1時間以上前に行き、指定券を受取り、ロビーでひたすら待っていた。東京芸大の映像研究科第12期生終了制作展があり、『向うの家』がspace2で同時刻から上映されたので、ロビーは上映直前には列を成す人々でごった返していた。   


 映画は一部実話を基にしているため、非常にリアルだった。そのためか、どの俳優も見事な演技をしていて、いわゆる「お芝居」がなく、ドキュメンタリー風ですらあった。旭も洋人も佳織も、ボクシングジムの会長も、受付の女性も。登場人物たちの個性も明確なので、ある意味演じやすかったのではないかとも思う。カメラを手持ちで撮影している部分は画像としてはみづらかった。だからと言って、その画像の動きがドキュメンタリー風に見える理由となっているのではない。佳織と旭の会話もよかった。旭とその友洋人もよかった。彼等の話す方言はとても魅力的だった。言葉の少なさが返って、言葉が伝え切れていない感情を観客に伝える。引き算の台詞。続く沈黙。一般的には人が会話をしている時には、相手が遮ったり、話題が変わったり、適当な言葉が思いつかなかったり、時間がなくなったり等々、文章で何かを主張するようには相手に伝えることができない。場合によっては言葉の断片から、肉体言語から、動作や間から、相手が考えていることを把握することになる。相手に対して好意的、好意を持っている場合は、相手の意図を汲もうと努めてくれる。しかし、好意的な会話ばかりが交わされるのではなく、相手に対して無関心だったり、時には敵対関係にあって敵意や悪意を抱いている場合もある。本作品では、短い会話の中からでも登場人物の心理、感情の変化がよく分かる。
 この作品はフランスの昨年2017年のヴズール国際アジア映画祭で最優秀アジア映画賞を獲得した。同じ時に上映された『Her Mother』以外の作品は知らないが、なるほど、この作品ならば選ばれてもおかしくないだろうと思った。
 
 上映は夜の21:00からだったので、私のいつもの生活パターンとは異なる。少し時間があったので家で午後『ぼくとママの黄色い自転車』と言う映画DVDを何の気なしに見た。シナリオとしては悪くないと思うのだが。一つずつ事実がはがされて明らかになってゆく、しかもそれが実は悲しい事実である、その中に冒険的な要素も入っている。楽しく悲しいお涙頂戴の映画と言えるかも知れない。が、女優がそこそこ有名すぎると、監督は十分にその女優を使いこなすことができないという結果になることもある。つまり、少年(ぼく)の母親(ママ)は筋力も記憶力も低下する難病に罹っているにも拘らず小奇麗なままで演じられているのである。役ではなく女優そのものの魅力が表現できるように、監督は妥協したのかもしれない。そのため少年が感じる理想の母親、記憶の中の母親と現実の病気の母親(本来変わり果てた姿であるはず)との差がまるでないばかりか、相変わらず美しく魅力的な母親のままなのである。「この人ぼくのママじゃない!」と言っても、感情を込めて発せられた台詞に過ぎないのである。言葉が、本来の意味を持ったない、形式的な音にすぎない。
 このDVDを観た後だったから余計に、『かぞくへ』の演技、台詞、演出に真実味を感じたのかもしれない。

 映画『かぞくへ』は、3/9(土)までは渋谷ユーロスペースで、3/10(日)からは横浜シネマリンで上映される。春本監督の映画自体、それに携わる人々、住んでいる地域、地域の人々など、もろもろに対する深い愛情を感じることができ、終了したときには既に23:00となっていたけれど、それに勝る有意義な時間を送ることができた。

 
 ここにご紹介させていただきました。



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