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風神雷神図 下絵 [絵画]

DSCN3171.JPG 『風神雷神図』の鉛筆による下描きは終わった。これからはどのような色で塗ってゆくか、顔の表情はどのようにするかを考えなければならない。そもそも何故風神や雷神を描きたいと思うのか。それは自分でも疑問に思っていることである。なりゆきといえばそれまでなのだが、なぜか描きたくなったので、気の済むように描くしかない。左の絵は、雷神の頭部である。日本風土記だったと思うが栖軽という人物が雷を二度捉えた、という話を中学校の国語の教科書で読んだ記憶がある。雷の姿は鬼である。羅生門の鬼とか、鬼は怖い存在であり、また非人間的な存在として私が微かな憧れも持った存在である。西洋の妖精や魔女も同様の存在かもしれない。雷様は藤原道真であるとも言われているようであるが、怖いが一目置かれる存在でもある。そういう存在は、不可欠ではないかと思う。何でも自分の持っている知識の範囲内で説明がついてしまうという存在など、深みがなく永遠に追い求めるかちもない。自分自身では説明ができず、説明を聞いても理解できないからこそ面白いのではないか、と思う。
 子供の頃は鬼は本当に怖い存在だった。夢で魘される時は、何度も鬼が出て来た。東京タワーをまたいで歩いている夢も見たが、狭い堂々巡りをするような道、双六のような道を鬼に追われて逃げている夢を何度も見て、夜中に目がさめたものだ。あの時の鬼はこのような類の鬼だったに違いない。非人間的で、情け容赦なく、人を食ってしまう。理由無く喰われてしまうことの恐怖。自分がいい子でいれば助かるのではなく、単純に鬼が自分を見ると食われてしまうという恐怖である。非合理的な死である。鬼は別段人間を食べなければならないという必然性はない。しかし、そこにいるから追いかけて喰ってしまう。ああ、なんだか、平和に暮らしたいと思っているのに、一方的に悪者にされて攻撃されている人々(特にアフガニスタン人、イラク人、イラン人。イスラム文化、サラセン文化は私を魅了して已まない。)を思い出さずにはいれない。
DSCN3170.JPG  こちらの緑色の鬼は風塵である。宗達の絵を見ていて、その鬼の耳が驢馬か馬の物のように見えたので、早速採用。牛頭馬頭という獄卒の印象があるのか。彼らの耳を鬼も持っているのだろうか。人間のようでありながら非人間的な部位を持っていることの無気味さ。
 因みに、ここに挙げた下描きは『風神雷神図』にはそのままでは登場しない。猪首であること、怒り肩であること、筋骨隆々としていること、それが今回の『風神雷神図』で特に注意したことである。
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 三日前にやっと河童のレリーフを再開した。どの部分が自分の創作意欲を損なっていたかがわかったのはよかった。それは紙粘土で作っていたため、下半身の部分が大きすぎたことだった。そのため美しさが感じられず中断を余儀なくされたのだった。今回は、彫刻刀でその不要な部分をどんどん削った。そうしたら、河童の本体が待ちわびたように本来の姿を現した。これでよいのだ。しかし、再び何かが私に中断を命じた。自分の目指しているものとどこかが異なる。また中断してしまった。こんなことがたまにあるのだ。
 『私のナジャ』と言う散文詩、半分体験記のような作品があるが、この作品を一日でも早く完成させたい、そう思っている。既に一度完成させた作品のより完成度の高い作品になるだろう。机の上にはアンドレ・ブルトンの『ナジャ』『溶ける魚』ゴーチエ『死霊の恋・ポンペイ夜話』『ロートレアモン詩集』などが平積みになっている。こうやって私に睨みを利かせているのだ。


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PERCUSSION INSTRUMENTS [youtube]

DSCN3153.JPG久々のYoutube。今日は、今年夏2016年8月30日に描いた絵とpercussion instrumentsのみで録音した音を一緒にすることで作品にしてみる。旋律がないので聴きづらいかもしれないと思いつつ、アフリカやインドの打楽器のみの演奏にも惹かれるので、今後はあれを目指したい。

 https://www.youtube.com/watch?v=48lQhZNgPBo&feature=youtu.be


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風神雷神の図 [絵画]

20161217DSCN3149.JPG風神雷神の図。これは下絵。何も見ずに、腕が赴くままに自分なりに風神雷神を描こうとしてみることで、改めて構図の重要性を痛感する。このニ神をどのように配置するか。近づきすぎているので、無理やり画面に押し込んだ印象になっている。事実、縦横が屏風に比べると遥かに正方形に近い四角形なので、一定の大きさで描くことによって、結果的に近づくことになった。また、雷神はでんでん太鼓を想像しながら描いたのだが、子供っぽい雰囲気になってしまった。また、風神は風袋を片手で持っているし、サンタクロースの贈り物袋のような風袋になってしまっている。宗達の屏風絵を見ると、答えが瞬時にして分かる。何をどのように配置するべきか、
 それでもやはり一度描いて見ることによって、難しさ、重要な点が分かる。
 『風神雷神の図』で何を私は描きたいのか。勢い、力、怒り、肉体美などなど。構図の練習もしておきたい。
 この絵には、最初クーピーペンシル、その後ボールペン、朱色鉛筆、色鉛筆、水彩絵具、修正液、このような順序で描いていった。宗達の絵では、随分様式的な美が追求されている。雲の形、領巾のような布の流れるような形、風神雷神の見得を切ったような姿勢・・・金屏風がまた背景としては非常に効果的である。
 今日の『風神雷神の図』は20×25センチの画帳であるが、もっと大きな10倍以上大きな画面に描いてみるつもりである。2014年の2月に描き、その後放置し、時々手を入れ、今日2016年12月17日(土)に一応完成したことにした。今日は、この絵のある画帳の3作品にも大幅は手をいれ、完成させた。どうしても我慢ができず、気に入らず完成できずに放置しておいた絵ばかりだったが、今日は不思議なことに色を塗ってみたいという気持ちになった。
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シュルレアリスト風題名『三権分立の形骸化の予感或いはあれはダリだ!』 [絵画]

 今日は、先日の日曜日に出勤した振り替え休日。朝、久々にゆっくりしていたら、少し面白い夢を見た。周期律表の階段を上って遊んだり、ブロックになった元素記号を運んだり。自分はやはりシュルレアリズムから自由ではないのだ、あちらの世界の人間なのかもしれない、と感じる。
DSCN3148.JPG 今日の絵はとりあえず題名をシュルレアリストのダリ風に付けてみる。『三権分立の形骸化の予感あるいはあれはダリだ!』である。最高裁判所の判断には、多分に政治的な部分があり、その影響が色濃くでることがある。それは本来、行政の影響を受けてはならず、独立していなければならないのだが。それを見ていると、時代が逆行しているように感じられ、そら恐ろしくなってくるのだ。
 この絵は、例によって手遊びで描いていたものに少しずつ色を付け、上から別の絵を描き込み、色を更に追加した。もともと青いボールペンを使い切るために一色で描いていたのだったが、黒、赤のインキ、朱色の鉛筆、クーピーペン、白色の修正液などを使って仕上げた。この作品はB5のスケッチブックに描いてあるが、もう少し大きな絵に描き直すかもしれない。自分の考えをはっきりと主張した作品として。
 この空を飛ぶ車輪付き人形ロボットは、本来猛スピードで地上を走り回るだけのものだったのだが、手帳に描いている時に、空を飛ばせて見て、無人殺人飛行機を連想し描いてみた。予想以上におぞましい、不快な印象を与えるロボットになった。
 科学も工業もエンジニアリングも、本来の目的をしっかりと見据えることが必要である。これらに従事する人々に、哲学、信念、愛情が欠落していたら、人類は彼らの作り出すもののために大きな被害を蒙ることになるだろう。人が人をいかに効率よく、大量に、一瞬で殺戮できるかを研究している人間がいるとしたら、それは狂気でしかない。
 そも、万物は何のために存在するのか。決して、存在を否定され、破壊されこの世から消滅するためではない。

 


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2016-12-3ダリ展を国立新美術館へ観に行く [日記・雑感]

 20161203satDSCN3147.JPG昨日は、気になっていたダリ展を国立新美術館へ見に行った。当初の予定では先週だったのだが、体調が今ひとつよくないので無理をせずに、一週間遅らせたのだった。しかし、新日曜美術館で紹介されていたので嫌な予感がしたが、違わず、大変な人出だった。天気予報も土曜日は行楽日和になり翌日日曜日は雨模様になるだろうという予想をしていたので、その影響もあったのではないか。60分待ちという掲示もあったが、今更引き返すのも悔しいと思い、入場券を買ってからは小腸のように曲がりくねった列の中で、ひたすら入場できるのを待った。
 感想としては、自分が好きな作品は展示していなかったので、満足度は高くない。それでも、ダリらしい作品もあったので、そこそこ楽しむことができた。若き日のキュビスム時代の作品は、ダリらしさはなく、やはりシュルレアリスムの時代になってダリらしさが花開く。
 戦後には『ビキニの三つのスフィンクス』という三つの後頭部が遠近で並んだ絵があるが、原子爆弾、水素爆弾、あるいは中間子など、二十世紀最先端の科学や技術が齎した技術や発見には敏感だった様子だ。
 左の絵はチラシの印刷の写真を撮ったものだが、『謎めいた要素のある風景』(1934年)で、30歳の頃の作品。とてもダリらしく、色彩も構図も魅力的だ。
 短編映画『アンダルシアの犬』も上映されていたので、観る。眼球や蟻の場面が衝撃的だが、最後の砂に埋まる男女が象徴的でとても好きだ。
 『黄金時代』も上映していたが、63分なので、止めた。
 2003年に発表されたウォルト・ディズニーパリ・スタジオが作った『デスティノDestino』(6分)は短いので観た。この作品は既にfacebookでも紹介されていたので観たことがあったが、改めてより大きな画面で観て感動を新たにした。Walt DisneyとSalvador Daliの共同制作として1945年に着想され、経済的な理由から58年間お蔵入りになっていたものを、1999年に"Fantasia 2000"を制作中のWaltの甥Roy Disneyが再発見して完成することにして出来上がった作品である。ダリの絵画が随所に引用されている。楽しく、幻想的で、超現実主義的なアニメーションである。ここに紹介してある絵に似ている色彩、構図も出てくる。
 ダリについては、その題名がとてもシュルレアリストの詩人風だと思う。『海の皮膚を引き上げるヘラクレスがクピドをめざめさせようとしているヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む』(1963)、『チェロに残酷な攻撃を加えるベッドと二つのないとテーブル』(1983)。そういうところがとても個性的で、魅力的である。
20161203DSCN3146.JPG 

 ところで、左のもう一枚の絵は、昨日朝手遊びに描いた絵。長らく使わないで放ってあるボールペンのインキを固まってしまう前に少しでも使おうとおもって線を引く。少し、浮世絵を意識し、北斎も意識し赤富士を入れてみる。特に題名はないが、あえてつければ『知らざあ言って聞かせやしょう、あたいの名前はお富さん或いは赤富士と後姿の時雨れてゆく黒猫』


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