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絵 ”Hey, guys! Where are you going?” [絵画]

今日は、絵付きの心象スケッチ。
20151129 Hey, guys! Where are you going DSCN2985.JPG題名は『おい、皆!どこへ行くんだ?!』

「希望の光」に満ちた光景
俺は感動した

我先に
ではなく順番に
それでも追い立てられるように
右の方角へどんどん行進して行く
昆虫ならぬ4つ脚の生き物
世界のあちこちで見られる光景なのかもしれない
目玉も触覚も皆同じ方角を向いている
どうして、周りを見渡さないのか
そういう疑問は愚の骨頂さ
そんな野暮なことを言っちゃあおしまいよ
皆の目は真剣そのものさ
皆が皆、活躍できる社会だからね
活躍が保証されているんだからね
何?具体的に言えだと?
馬鹿なことを言いなさい
各人努力すれば、無限大の可能性があるじゃないか
無限のものを列挙するなんて
そんなもの挙げていたら、死んでも終わらないぜ

いいかい
頑張らない奴は愚か者さ
年齢も性別も
生まれた境遇も経済力も
そんな言い訳は聞かん!
言い訳は大嫌いだ
尤も、俺達は多少裕福かもしれないが
カップラーメンは300円くらいかな?
まあ、安いもんだ
珈琲も一杯1500円くらいだろう?
そんなもんでも食べて頑張れば
諸君は活躍できるのだから
そして、もっとまともなものを食ったり飲んだりできるんだ

私には、何だかこの虫のような生き物の靴音が聞えるような気がする
そして大兄弟の声が
この生き物の背後に響いているように感じる

絵 2015-11-28 [絵画]

20151128DSCN2977.JPG 一週間ほど前に線を引いておいた絵に今日仕上げを施す。色鉛筆、水彩絵具、クーピーペンシル、黒のボールペン他。無題。私は目標なしに絵を描き始めることの方が多い。抽象的なものが多いのでそのようになるのだと思う。抽象絵画は具象的な絵画とデザインの中間にあるのかもしれない、とふと思う。
 ところで、先日、NHKを見ていて、尾形光琳がどのような人物であったか少し分かった。俵屋宗達の『風神雷神』屏風に大きな影響を受け、模写をした。何と上からなぞったようである。にも拘らず、それ故に、当然ながら宗達の絵には全く及ばない。
 翌日職場で、この番組を見ていたK先生にたまたま遭い立ち話をした。この点について考えが一致した。彼は尾形光琳の展覧会に両方と酒井抱一の3作品が比較されていたのも見てきたとのことだった。二番煎じとはよく言ったもので、幾ら真似をしても、原物の迫力、味わいが希釈されてしまっていて、既にある作品を超えることは不可能に近い。尤も、光琳の『紅白梅図』は、天才的なデザイン感覚を感じる。彼の仕事がデザイナーのものであると言う点でもK先生と見解が一致している。
20151128DSCN2983.JPG 意味は後からついてくるものなのかもしれない。
 ダニエル・タメット著『ぼくには数字が風景に見える』(講談社文庫)を読んだ。著者はアスペルガー症候群とサヴァン症候群を持つ男性である。彼の話を読んでいて、自分にもほんのちょっとだけ当てはまるところがあることが分かり、非常に興味深かった。私には特に色がついて見えるわけではないが、土曜日の午前中は紫色であると感じるし、ある言葉に色がついていても不思議ではないと思うからだ。子供の頃毎晩のように同じ夢をみたりしたのも同じだった。ダニエルの感じた孤独、他者の論理を直ぐに理解できないところ、パニックを起しやすいところなど、私の物は大幅に希釈されてはいるが共通しているようだ。自分にどのような傾向があるかを事前に知っておけば、社会生活も大分楽になりそうだ。
 尚、2013年以降、アスペルガー症候群、自閉症は「自閉症スペクトラム障害」と言う名称の下に統合されたと書かれていた。

三権分立の妄想 [絵画]

 SSCN2976.JPG今日の絵には『三権分立の妄想』と言う悲観的な題をつけてしまった。三権分立は国家が法治国家であり国民主権であるための基本条件であるが、それが危うくなっているからである。スサノオノミコトはヤマタノオロチを退治するが、その八俣大蛇は胴体一つに八つの頭と尻尾、身体には苔と樹木が生えと言う化け物である。ここにいる三つの頭を持った化け物は、爬虫類ではなくむしろ鳥類である。三つの頭は口からは放射能を吐き出している。胴体が一緒なので、彼らは一心同体なのである。
 実は、先週パリで起きたテロリストによる同時多発テロによって感じた心境を絵に描き始めたが、下書きの段階で時間が掛かることが予測されたので中断したのである。代わりにクーピーペンシルをもって画帳に向かっていたら、この絵になってしまったのである。
 そして、私は知っている。この『三権分立の妄想』であるこの怪物はもうじき消滅するだろうということを。それは楽観的な予測かもしれないが、きっと今の日本から姿を消すことになるだろう。なんとなれば、いてはいけない存在だからである。21世紀と言う世紀は、20世紀の負の遺産を引き継いではいるが、インターネットと言う情報網が世界中に張り巡らされていて、正しいことを知ろうとする人間については、この怪物が存在してはならない怪物であることを認識できる世の中になっているからである。
 
※私は使用している音楽ソフトの関係で未だにWindows XPを使用しているが、Yahoo!メールではその一部が11月25日以降使用できなくなると言う警告が表示された。昨晩、慌ててoutlook expressに乗り換えたところ、送信ができない。昨日から随分落ち込んでいたが、今日あれこれ検索していると対処方法がウェブ上に書かれていた。本の数年前ならば、完全に諦めていたようなことが、ウェブ上の具体的な情報によって解決できるのである。

『キノコの楽隊』(『どんぐりと山猫』より [宮沢賢治]

 組曲『どんぐりと山猫』より『キノコの楽隊』
 
 一郎がまたすこし行きますと、
 一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、
 どってこどってこどってこと、
 変な楽隊をやってゐました。
 「おい、きのこ、やまねこが、こゝを通らなかったかい。」
 とききました。するときのこは
 「やまねこなら、けさはやく、
 馬車で南の方へ飛んで行きましたよ。」
 とこはへました。
 一郎は首をひねりました。
 『どんぐりと山猫』より

YouTubeの作品にしました。urlは下記の通り。

https://www.youtube.com/watch?v=pwMOOZONQbM&feature=youtu.be


忘却は悪である [随想]

 忘却は悪である。悪事をした場合には、常に思い出さなければならない。忘却は臭い物には蓋をするのと同じである。過去に向き合わず、直視せず目を背ける者は勇なきものなり、と信ずる。過去に犯した罪に眼をつぶる人間は、臆病者であり卑怯者である。そして、彼らがどでだけ威勢のいい発言をしようが、彼らの本質は惰弱な臆病者に過ぎないと言う事実は変わらない。
SSCN2933.JPG 今日の絵は、そんな人の代表であるある人物を描いたものである。しかし、肖像画ではない。彼の言動を象徴的に、少し抽象的に描いてみたのだ。特定は出来ないだろうが、絵の中に幾つかの鍵が入っているかもしれない。それらが鍵として認識されなければ鍵の役を果たすことができないのだが。そんなことは多い。馬耳東風。
 弱い人間は、同類を求め、自分を批判する人間を遠ざける。どの分野、世界に於いても当てはまる。自分を説得してしまう人間を忌避する。自己批判、反省の出来ない人間、その人物から助言者、賢者を遠ざけるとどのようなことになるか。暴走列車が自走して衝突すべき対象の出現まで走り続けるか、脱線して止まるか。いずれにせよその機関車に引き摺られる人々はたまったものではない。When will they ever learn?
 ハロウィーンの仮装に興じている場合ではないのかもしれない。
 心が病んでいる人間は、型にはまっていることがお好き、彼自身が予測できることだけが起こる事を望む。予想外のことが起こることが嫌い。彼が理解したとおりに行動しないと、腹が立つ。なんとなれば、彼は他者の痛みを考えたことがないから、弱者の立場になって考えることができないから。金を儲けることはよいこと、たとえ他者を犠牲にしても、他者が犠牲になっても、なぜならこの他者たちには自助努力が足りないだけだから。自らを助けることの出来ない人々は、その存在自体が正しくないから。
 今日の絵はB4判。水彩絵具、色鉛筆、黒のマジックインキ。

 


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