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残酷さについての考察もどき [変化]

 「私は母音の色を発明した!-Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。私は子音それぞれの形態と運動を調整した。」 『錯乱Ⅱ』 ことばの錬金術の中で、A.ランボーはこのように宣言した。だから私も宣言してやろう。「残酷さ」の公式を作り出したのだと。
 私は春分さんの「長虫(そのそれは長く、しかし毒はもたない)」を見てしまった時、考えた。残酷さとはなんなのかと。青大将がカエルを飲み込む様を、つい、先に進んで全て見てしまった後に。たまたま目に留まって図書館から借りてきた『自我の起原』(真木悠介著-岩波書店)の中にある式が、私をして残酷さについての公式を考えしめたのである。それはこのようにまとめられている。
 「ハミルトンは更にこの結果を一般化して、動物個体の「利他」行動の条件として
  br>c 従って r>c/b と言う式を導いている。rは個体間の血縁度で1から0までの値をとる。cは行為者の犠牲(cost)の大きさ、bは受益者の受ける利益(benefit)の大きさである。・・・」(p17)

 さて、残酷とはどのように国語辞典では定義されているだろう。「人や動物に苦しみを与えて平気なこと。むごたらしいこと。」惨たらしいは惨いと同義であり、惨いとは「悲惨だ、いたましい、残酷だ、無慈悲だ」(岩波書店国語辞典第2版)。むごらし、と言う言葉が江戸時代には使われていたようである。意味は「むごい状態である、哀れである、かわいそうである、むごたらしい」(三省堂『明解古語辞典新版』)
 残酷であること(cruelty)を考えてみると、それはいくつかの要素から構成されていることが分かる。恐怖(fear)、経験による知識(experience)あるいは共感(sympathy)、血腥さ(bloodiness)、痛み(pain)、時間(time)。そして私はランボーよろしく魔法の定数である人間性(humanity)を用意した。残酷さと言う概念も人間が作り出したものだからである。もし人間性が神の判断、神意(Providence)と等しければ、この公式は成り立たない。このような破壊要素も準備した。
 まず、恐怖は残酷さを印象付ける上では重要な要素である。例えば、蛇に睨まれた蛙、と言うが、蛙は恐怖に凍りつく。本当だろうか。私は子供の頃、小川で水遊びをしていて恐ろしい目にあった。突然蛙が土手から飛び降りてきたので驚いてそちらを見ると、70センチほどの長さのヤマカガシが猛烈な勢いで追いかけて来ていたのだった。弟と私は蛙の味方をし、大きな声を上げたのだったが、蛇はバツが悪そうに、すごすごと草むらに消えて行った。恐怖を感じないものがその捕食者に出会っても、なんの感情もなく、よって、残酷には感じない。例えば、植物は恐怖の表情を表さないので、食べる時残酷さを感じない。
 経験による知識とは、共感と殆ど同義であるが、共感するためには自身の経験がなければならない。地震や洪水の被災者は、他の地域の被災者の気持ちが分かる。経験した人々でなければ決して知ることのできない共通項があるためである。喧嘩で相手に酷く傷つけられたことのある人間は、傷つけられる痛みがよく分かる。アウシュビッツのガス室へ送られる直前に解放された人は、ガス室で亡くなった人の恐怖や悲しみが分かるだろう。なんとなれば、次は自分の体験になる筈だったから、単なる他者の経験ではないからだ。
 血腥さ。これは残酷さの中でも、視覚的な要素である。残酷さの中でも、人間が行う拷問などでは、血腥さがないものもある。青い血の生き物もいるが、一般的には赤い血が残酷さ、悲惨さに付き物である。反対に、血がでないと残酷さの程度が和らぐこともある。口の周りを血だらけにしたライオンが、シマウマにかぶりついている姿。一方、一口でオキアミを掬い取るナガス鯨。どちらも食事の姿であるが、血腥さと言う点からは、ライオンの方が残酷に見える。
 痛みが感じられない場合、表情の変化も、形態の変化も、体の変化も起きない。痛みは往々にして我々人間の普段感ずることができるために、最も共感でき、残酷さの程度も大きくなる。血腥さも、傷⇒痛み或いは出血⇒出血或いは痛み、と言う流れの中で感得される。
 時間と言う要素も大きい。春分さんのブログにも書かれていたが、蛙が虫を呑み込むのは一瞬なので、残酷さを感じない。この指摘は的確だと思う。上記のナガス鯨なども、瞬間的な捕食のために、殆ど残酷さを感じない。この時間と言う要素は残酷さを隠蔽してしまう。例えば、戦争でも、近年では破壊力の凄まじい兵器を使用し一瞬で人間が消滅してしまうため、その瞬間残酷であると感じる暇がない。時間と言う要素と同様に考えておかなければならないのは、残酷さを感じ取る感覚である。それは五感で、見る、聴く、味わう、嗅ぐ、触る。それらが感じられなければ、残酷さそのものが認識されない。この5つの中で、味わうと言うのが、残酷さの具体例を思いつかない。興味深いのは、この五感はどれも「変化」に対応していることである。時間の経過がなければ変化は起こらない。時間の経過が零に近いと、変化が感じられず、残酷さも感知されない、されづらい。見る、について言えば、残酷さを見ることのできる状態であることが必要条件である。瞬時に消滅あるいは目の前から消えてしまう場合、残酷さは感じない。聴く。恐怖のために叫び声、或いは痛みのために絶叫する、その音が聞こえなければ残酷さの度合いは低くなるかも知れない。以下は省略する。
 
 さて、これらの要素を式にしてみる。
 C=(f+b+p)×t×s×(h-1)

 C:残酷さ  f:恐れ、恐怖 b: 血腥さ t:時間  s:共感、同情、体験の共有 h:人間性、慈愛   Pr:神意
 慈悲深い人間であればh(人間性、慈悲)が大きくなり、残酷さの程度も大きく感得される。一方、残忍な無慈悲な人間は値が負になることもあり、残酷さを感じないことになる。
 ちなみにh=Pr(=1)である場合には、この公式は成り立たなくなる。
 

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SAKANAKANE

深い考察ですね。
普段、なかなかそこまでは考えられませんが、行為者の感ずるモノと、目撃者の感ずるモノとでは、また違いが有るかも知れませんね。
by SAKANAKANE (2008-06-23 04:09) 

mompeli

ヒトの痛みを知るために 残酷さや惨いと思う気持を経験するのはとても大切だと思います。でもバーチャルなモノがはびこっているこの世の中では本当の残酷さとは何かつかむことができないまま大きくなっている人たちが増えているような気がします。世界に目を向けると残酷でむごいことはいっぱい起きているんですけどね。でも「レンズの向こう側」という状態になった途端にやっぱりなんとなくバーチャルになってしまう。大変な世の中だと思います。
by mompeli (2008-06-23 09:45) 

すうちい

おもしろいですね。特に神意の導入は。

私もちょっと考えました。ナガス鯨が食べるエサがもしシマウマであったらどうだろうと。何匹ものシマウマをガーッと飲み込んでいく。これは残酷でしょ。

そこでアインシュタインよろしく“親近感項”の導入を提案してみようかと。苦痛を与えられる対象が我々にどれほど類似しているかの類似性(a;affinity?)をくわえてみてはどうでしょう。なんて考えて楽しんでます。
by すうちい (2008-06-23 22:29) 

アヨアン・イゴカー

SAKANAKANE様 
人間に於いては被害者と加害者の関係になりますが、これは簡単に結論付けることのできない問題も含まれていると思います。

mompeli様
ご指摘の通りだと思います。インターネットの普及で、世界中の楽しいことあるいは災害・戦争・残虐な行為なども瞬時に知ることができますが、レンズやガラスの向こう側と言う傍観者の立場から抜けることは困難です。
恐ろしいことは、レンズやガラスを通して見ているのではなく、自分の目の前で起こっていることなのに、レンズやガラス越しに見ているような傍観者になってしまうことだと思います。

すうちい様
シマウマを飲み込むナガス鯨!!おお、なんと残酷な!
類似性affinityを加えるというお考え、面白いですね。有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2008-06-24 09:47) 

doudesyo

今晩は。
感覚的なことや感性的なこと、心理的なことなどおよそ数値では測れないと思われる感情的な側面を、客観的な数式に置き換えようというのが面白いです。内容については難しくて分かりませんが、このCをひも解くと、様々な愛とかも見えてくるのかもしれませんね。また、現象面を言葉で捉えることからソシュールの言語学を連想してしまいました。さほど関係ないですけど。
by doudesyo (2008-06-27 21:30) 

旅爺さん

おはよう御座います。
残酷さだけを考えると何処からが残酷なのか難しいですね。
人によって考え方は大きく異なるでしょうね。
by 旅爺さん (2008-06-28 06:23) 

アヨアン・イゴカー

ラナ様、さとふみ様、xml_xsl様、デザイン屋様 nice有難うございます。

doudesyo様
公式の面白さは、変形によって別の要素を定義できることです。上記の公式はいい加減ですから、変形すると不都合が生ずるかもしれませんが、そんな恐ろしい実験はしていません。

旅爺さん様
落合信彦の本にKGBやCIA、Mossadについて書かれた本が何冊かありますが、その中に諜報部員は、残酷さに慣れる訓練を受けさせられると言う記述がありました。そして、恐ろしいことに、人間は残虐な場面を見せ続けられると、感覚が麻痺してしまうのでありました。残虐さ、残酷さを残酷であると感じられるのが人間性なのだと思います。残酷さを感じられる人間でいなければならないと思います。

by アヨアン・イゴカー (2008-06-28 11:09) 

yama3

「生物史から自然の摂理を読み解く」ブログから来ましたyama3です。共感っておもしいですよね。何故かハエに感情移入することはあっても、腹が減ったカエルには感情移入しない・・・。共感というのは今風の言い方をするなら「負け組」生物において形成されたものなのでしょうか?しかし、今大多数の人々に「共感」が受け継がれているということは、共感は決して負けっぱなしではなかった、ということもできるかもしれませんね。

>残酷さを感じられる人間でいなければならないと思います。

おっしゃるとおりだと思います。今後ともよろしくおねがいします。

by yama3 (2008-06-28 21:20) 

アヨアン・イゴカー

yama3様 コメント有難うございます。「生物史から自然の摂理を読み解く」ブログは大変、興味深い話題で一杯ですね。時間のある時、できるだけ皆様の記事を拝読するようにしています。今後とも宜しくお願いします。
by アヨアン・イゴカー (2008-06-28 22:06) 

春分

出遅れてしまったようです。話題にして頂けてうれしいですね。
私は動物の気持ちを人の頭で想像し過ぎてはいけないと思いますものの、
あの食らわれるカエルはいかにも象徴的で、いろいろ思わせますね。
ヘビとカエルを撮りながら私の思ったことをご参考までに書きましょう。
ヘビには共感を持ちませんでした。カエルは「しまった」と思っていたろうと
思いました。痛いとか、まして自分は死ぬとかは思わないだろうと思っていました。


by 春分 (2008-07-05 20:30) 

春分

おっと、いけない。
これでは残酷さを感じられない人間であると告白しているようなものですね。
by 春分 (2008-07-05 22:15) 

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