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蒲鉾板作品 その1 [随想]

 今年は、久々に年賀状用に蒲鉾の板を利用して木版画。このブログに書き込みをしてくれているKannaさんが年賀状をゴム版版画で作成する予定だという記事をみていて、やってみたいなと漠然と思っていた。それを後押ししたのが野鳥ブログdoudesyoさんの昨年記事の総括版「重大3 名古屋コーチン」DSCN3189.JPGの写真。その赤茶色の鶏の愉快な写真を拝見していて、蒲鉾板で20年振り位になるけれども、小さな木版画を作ってみようという気持ちになった。あえて黒一色にしているので、少しだけ華やかさを出すためにAyoan Igokahのイニシャルの判子を押した。(この判子はシャンペンのコルク栓を使って、昨年夏に作成)送った相手は数人限定。画像にある文章は、『古今和歌集』の冒頭。筆ペンで小さな文字を書くのは難しいと感じる。もっと大きな字であれば、もう少し勢いを筆にのせることができただろうと思う。
 今年の冬休みは水曜日まで、10日以上連続の休みだった。あれこれやりたいと考えていて、少しだけ計画もしていたが、ほぼ未達成。殆ど読み終わっている本4冊を読み終えようと思っていたが、結局は休みが終わってから読み終えることに。模型飛行機(ライトプレーン)を作ってしまおうと思ったが、机の上に一回置いて設計図と部品を確認するだけで終わった。動画や人形劇に使える小さな劇場(ボール紙)を作ることにしていたが、こちらも箱だけ確保して中断。
 一方、B5判と小さいながらも絵は毎日1枚以上は描いていた。これは当初全く予定していなかった。中断していた河童の看板にも取り掛かったが、再び保留に。『風神雷神図』は鉛筆の下絵を終え、それぞれの神に一回目の彩色をする。何度も塗って、深みを出したい、だからこちらも保留になっている。玄関扉を交換したので、それに合わせて、郵便受けに油性ニスを塗ったり、バッタの看板を壁に打ちつけたりした。私という馬は、なかなか川辺に行っても水を飲まないで、道草を食べてばかりいるのである。


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弦楽四重奏曲(Etude)より第二楽章 [youtube]

 本日1月2日、Enrique様のブログを拝見したところ、ヴィヴァルディ『四季』の冬の第二楽章が公開されていた。少し早めのテンポで録音されているが、ピツィカートは雨の描写だという解説があった。我が家にもイタリア語の書いてある楽譜があるが、意味を調べてみることはなく、高校時代より、この曲からは雪が深々と降る温かい室内で暖炉の前で寛いでいる様子を勝手に想像していた。ピツィカートの部分は、暖炉ではじける枝の音、或いは湯気を出しているポット。第一楽章のトレモロが好きで、『四季』のなかでは一番好きだった。この第二楽章も旋律が美しく大好きだった。もちろん今でも好きで、バイオリンを練習する時にも、いかにしてビブラートを美しく出せるか、ポルタメントが艶っぽく出せるか意識している。
 Enrique様のこの演奏を聴いていて、学生時代に書いていた弦楽四重奏曲の習作の第二楽章を思い出し、このところ作曲からは遠ざかっていたので、これを機会にとりあえず完成させておこうと考えた。縦笛しかない時に作っていたので、最初は縦笛を使って書いていた。
 この曲弦楽四重奏曲習作第二楽章は、ヴィヴァルディの『四季』の冬、第二楽章に大いに影響を受けているので、演奏する時は温かい部屋、暖炉、何気ない楽しい会話などを思い浮かべて欲しいと思っている。挿絵は、本日零時頃に描いておいた絵で、セロ弾きのゴーシュ風であるが、物語には出てこない場面や動物も一緒に描き込んである。
https://www.youtube.com/watch?v=S9qeCsrCCeE&feature=youtu.be
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風神雷神図 下絵 [絵画]

DSCN3171.JPG 『風神雷神図』の鉛筆による下描きは終わった。これからはどのような色で塗ってゆくか、顔の表情はどのようにするかを考えなければならない。そもそも何故風神や雷神を描きたいと思うのか。それは自分でも疑問に思っていることである。なりゆきといえばそれまでなのだが、なぜか描きたくなったので、気の済むように描くしかない。左の絵は、雷神の頭部である。日本風土記だったと思うが栖軽という人物が雷を二度捉えた、という話を中学校の国語の教科書で読んだ記憶がある。雷の姿は鬼である。羅生門の鬼とか、鬼は怖い存在であり、また非人間的な存在として私が微かな憧れも持った存在である。西洋の妖精や魔女も同様の存在かもしれない。雷様は藤原道真であるとも言われているようであるが、怖いが一目置かれる存在でもある。そういう存在は、不可欠ではないかと思う。何でも自分の持っている知識の範囲内で説明がついてしまうという存在など、深みがなく永遠に追い求めるかちもない。自分自身では説明ができず、説明を聞いても理解できないからこそ面白いのではないか、と思う。
 子供の頃は鬼は本当に怖い存在だった。夢で魘される時は、何度も鬼が出て来た。東京タワーをまたいで歩いている夢も見たが、狭い堂々巡りをするような道、双六のような道を鬼に追われて逃げている夢を何度も見て、夜中に目がさめたものだ。あの時の鬼はこのような類の鬼だったに違いない。非人間的で、情け容赦なく、人を食ってしまう。理由無く喰われてしまうことの恐怖。自分がいい子でいれば助かるのではなく、単純に鬼が自分を見ると食われてしまうという恐怖である。非合理的な死である。鬼は別段人間を食べなければならないという必然性はない。しかし、そこにいるから追いかけて喰ってしまう。ああ、なんだか、平和に暮らしたいと思っているのに、一方的に悪者にされて攻撃されている人々(特にアフガニスタン人、イラク人、イラン人。イスラム文化、サラセン文化は私を魅了して已まない。)を思い出さずにはいれない。
DSCN3170.JPG  こちらの緑色の鬼は風塵である。宗達の絵を見ていて、その鬼の耳が驢馬か馬の物のように見えたので、早速採用。牛頭馬頭という獄卒の印象があるのか。彼らの耳を鬼も持っているのだろうか。人間のようでありながら非人間的な部位を持っていることの無気味さ。
 因みに、ここに挙げた下描きは『風神雷神図』にはそのままでは登場しない。猪首であること、怒り肩であること、筋骨隆々としていること、それが今回の『風神雷神図』で特に注意したことである。
 * * * * * * * * * * * *
 三日前にやっと河童のレリーフを再開した。どの部分が自分の創作意欲を損なっていたかがわかったのはよかった。それは紙粘土で作っていたため、下半身の部分が大きすぎたことだった。そのため美しさが感じられず中断を余儀なくされたのだった。今回は、彫刻刀でその不要な部分をどんどん削った。そうしたら、河童の本体が待ちわびたように本来の姿を現した。これでよいのだ。しかし、再び何かが私に中断を命じた。自分の目指しているものとどこかが異なる。また中断してしまった。こんなことがたまにあるのだ。
 『私のナジャ』と言う散文詩、半分体験記のような作品があるが、この作品を一日でも早く完成させたい、そう思っている。既に一度完成させた作品のより完成度の高い作品になるだろう。机の上にはアンドレ・ブルトンの『ナジャ』『溶ける魚』ゴーチエ『死霊の恋・ポンペイ夜話』『ロートレアモン詩集』などが平積みになっている。こうやって私に睨みを利かせているのだ。


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PERCUSSION INSTRUMENTS [youtube]

DSCN3153.JPG久々のYoutube。今日は、今年夏2016年8月30日に描いた絵とpercussion instrumentsのみで録音した音を一緒にすることで作品にしてみる。旋律がないので聴きづらいかもしれないと思いつつ、アフリカやインドの打楽器のみの演奏にも惹かれるので、今後はあれを目指したい。

 https://www.youtube.com/watch?v=48lQhZNgPBo&feature=youtu.be


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風神雷神の図 [絵画]

20161217DSCN3149.JPG風神雷神の図。これは下絵。何も見ずに、腕が赴くままに自分なりに風神雷神を描こうとしてみることで、改めて構図の重要性を痛感する。このニ神をどのように配置するか。近づきすぎているので、無理やり画面に押し込んだ印象になっている。事実、縦横が屏風に比べると遥かに正方形に近い四角形なので、一定の大きさで描くことによって、結果的に近づくことになった。また、雷神はでんでん太鼓を想像しながら描いたのだが、子供っぽい雰囲気になってしまった。また、風神は風袋を片手で持っているし、サンタクロースの贈り物袋のような風袋になってしまっている。宗達の屏風絵を見ると、答えが瞬時にして分かる。何をどのように配置するべきか、
 それでもやはり一度描いて見ることによって、難しさ、重要な点が分かる。
 『風神雷神の図』で何を私は描きたいのか。勢い、力、怒り、肉体美などなど。構図の練習もしておきたい。
 この絵には、最初クーピーペンシル、その後ボールペン、朱色鉛筆、色鉛筆、水彩絵具、修正液、このような順序で描いていった。宗達の絵では、随分様式的な美が追求されている。雲の形、領巾のような布の流れるような形、風神雷神の見得を切ったような姿勢・・・金屏風がまた背景としては非常に効果的である。
 今日の『風神雷神の図』は20×25センチの画帳であるが、もっと大きな10倍以上大きな画面に描いてみるつもりである。2014年の2月に描き、その後放置し、時々手を入れ、今日2016年12月17日(土)に一応完成したことにした。今日は、この絵のある画帳の3作品にも大幅は手をいれ、完成させた。どうしても我慢ができず、気に入らず完成できずに放置しておいた絵ばかりだったが、今日は不思議なことに色を塗ってみたいという気持ちになった。
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シュルレアリスト風題名『三権分立の形骸化の予感或いはあれはダリだ!』 [絵画]

 今日は、先日の日曜日に出勤した振り替え休日。朝、久々にゆっくりしていたら、少し面白い夢を見た。周期律表の階段を上って遊んだり、ブロックになった元素記号を運んだり。自分はやはりシュルレアリズムから自由ではないのだ、あちらの世界の人間なのかもしれない、と感じる。
DSCN3148.JPG 今日の絵はとりあえず題名をシュルレアリストのダリ風に付けてみる。『三権分立の形骸化の予感あるいはあれはダリだ!』である。最高裁判所の判断には、多分に政治的な部分があり、その影響が色濃くでることがある。それは本来、行政の影響を受けてはならず、独立していなければならないのだが。それを見ていると、時代が逆行しているように感じられ、そら恐ろしくなってくるのだ。
 この絵は、例によって手遊びで描いていたものに少しずつ色を付け、上から別の絵を描き込み、色を更に追加した。もともと青いボールペンを使い切るために一色で描いていたのだったが、黒、赤のインキ、朱色の鉛筆、クーピーペン、白色の修正液などを使って仕上げた。この作品はB5のスケッチブックに描いてあるが、もう少し大きな絵に描き直すかもしれない。自分の考えをはっきりと主張した作品として。
 この空を飛ぶ車輪付き人形ロボットは、本来猛スピードで地上を走り回るだけのものだったのだが、手帳に描いている時に、空を飛ばせて見て、無人殺人飛行機を連想し描いてみた。予想以上におぞましい、不快な印象を与えるロボットになった。
 科学も工業もエンジニアリングも、本来の目的をしっかりと見据えることが必要である。これらに従事する人々に、哲学、信念、愛情が欠落していたら、人類は彼らの作り出すもののために大きな被害を蒙ることになるだろう。人が人をいかに効率よく、大量に、一瞬で殺戮できるかを研究している人間がいるとしたら、それは狂気でしかない。
 そも、万物は何のために存在するのか。決して、存在を否定され、破壊されこの世から消滅するためではない。

 


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2016-12-3ダリ展を国立新美術館へ観に行く [日記・雑感]

 20161203satDSCN3147.JPG昨日は、気になっていたダリ展を国立新美術館へ見に行った。当初の予定では先週だったのだが、体調が今ひとつよくないので無理をせずに、一週間遅らせたのだった。しかし、新日曜美術館で紹介されていたので嫌な予感がしたが、違わず、大変な人出だった。天気予報も土曜日は行楽日和になり翌日日曜日は雨模様になるだろうという予想をしていたので、その影響もあったのではないか。60分待ちという掲示もあったが、今更引き返すのも悔しいと思い、入場券を買ってからは小腸のように曲がりくねった列の中で、ひたすら入場できるのを待った。
 感想としては、自分が好きな作品は展示していなかったので、満足度は高くない。それでも、ダリらしい作品もあったので、そこそこ楽しむことができた。若き日のキュビスム時代の作品は、ダリらしさはなく、やはりシュルレアリスムの時代になってダリらしさが花開く。
 戦後には『ビキニの三つのスフィンクス』という三つの後頭部が遠近で並んだ絵があるが、原子爆弾、水素爆弾、あるいは中間子など、二十世紀最先端の科学や技術が齎した技術や発見には敏感だった様子だ。
 左の絵はチラシの印刷の写真を撮ったものだが、『謎めいた要素のある風景』(1934年)で、30歳の頃の作品。とてもダリらしく、色彩も構図も魅力的だ。
 短編映画『アンダルシアの犬』も上映されていたので、観る。眼球や蟻の場面が衝撃的だが、最後の砂に埋まる男女が象徴的でとても好きだ。
 『黄金時代』も上映していたが、63分なので、止めた。
 2003年に発表されたウォルト・ディズニーパリ・スタジオが作った『デスティノDestino』(6分)は短いので観た。この作品は既にfacebookでも紹介されていたので観たことがあったが、改めてより大きな画面で観て感動を新たにした。Walt DisneyとSalvador Daliの共同制作として1945年に着想され、経済的な理由から58年間お蔵入りになっていたものを、1999年に"Fantasia 2000"を制作中のWaltの甥Roy Disneyが再発見して完成することにして出来上がった作品である。ダリの絵画が随所に引用されている。楽しく、幻想的で、超現実主義的なアニメーションである。ここに紹介してある絵に似ている色彩、構図も出てくる。
 ダリについては、その題名がとてもシュルレアリストの詩人風だと思う。『海の皮膚を引き上げるヘラクレスがクピドをめざめさせようとしているヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む』(1963)、『チェロに残酷な攻撃を加えるベッドと二つのないとテーブル』(1983)。そういうところがとても個性的で、魅力的である。
20161203DSCN3146.JPG 

 ところで、左のもう一枚の絵は、昨日朝手遊びに描いた絵。長らく使わないで放ってあるボールペンのインキを固まってしまう前に少しでも使おうとおもって線を引く。少し、浮世絵を意識し、北斎も意識し赤富士を入れてみる。特に題名はないが、あえてつければ『知らざあ言って聞かせやしょう、あたいの名前はお富さん或いは赤富士と後姿の時雨れてゆく黒猫』


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変な絵 その1 [絵画]

 9月8日に描いた変な絵。連続物の絵としては3枚目であるが、最初に紹介するのでその1.なぜ変な絵なのかと言うと、この20161002DSCN3120.JPG世に存在しない見たことのない変わった生き物だからである。他者に害を加えなければ、変わっていることの良し悪しは問題にならない。
 某国では、ドングリたちが自分たちの代表を決める選挙をしたそうだ。立候補していたのは金塗れで金ぴかで、夜も電飾が付いているほど着飾った葉っぱが一枚、もう一人の候補は悪態ばかりついているひょっとこアヒルだった。ドングリたちは、どっちの顔も嫌いだったので、どっちのほうが害が少ないか、それを侃侃諤諤の議論をしながら消去法で選んだ。もう飽き飽きして、うんざりして議論に参加しないドングリもいた。そも、選択肢が少なすぎること自体が、民主主義が崩壊していることの証拠ではないか。どっちも嫌いなのに、もっとまともな候補が存在しないこと、実は存在しているのに存在が分からないように情報操作されていることの方が大きな問題ではないか、とドングリのジャーナリスト達は言っている。そりゃそうだ。
 対岸の火事だが、飛び火してくると言って、大騒ぎしているエノコログサたちがいた。彼らにマイクを向けると、悪態ばかりついているひょっとこアヒルが選ばれたら、領有権を争っている布袋様の国が足を伸ばして攻めて来ると言って大騒ぎをしている。そんなに世の中は単純じゃないと思うけれど。
 いろいろ変なことばかりが起こっているけれど・・・

 高齢者による自動車事故が連続して報じられている。予防する為には運転規則を厳しくすることも一つの方法だろうけれど、高齢化社会となっている日本の老老介護の現実を見なければならない。若くない身体を酷使して自分よりも多くの介護を必要としている家族を介護しているために疲労する、それが突然の睡眠を誘発する、そして・・・簡単に想像出来る映像である。事故防止装置(自動ブレーキ、速度制限機能、運転手への注意喚起機能など)のついた自動車の使用を促進、またその買い替えに補助金を出すことなども考えられるべきではないか、あるいはそのような自動車の貸し出しなどもあってもよいのではないかと思う。絵には全く関係ないが、ふと新聞記事やテレビニュースを思い出した。
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Paul Delvauxポール・デルヴォー版画展 [日記・雑感]

yoshizawa garden galleryDSCN3129.JPG 今日は市川市真間5-1-18にある芳澤ガーデンギャラリーへ『ポール・デルヴォー版画展』を観に行く。ここで展覧会が開かれることは7月頃に国府台駅改札にあるチラシで知っていて、ずっと楽しみにしていた。ボール・デルボーは油絵の展覧会が催された時に、時機を逸して見損なって暫く後悔していたのだった。チラシに載っていた『庭』がとてもデルヴォーらしくて、原物も見てみたかった。
 京成線の国府台駅を下りて、和洋女子大学の方へ歩く。手前の歩道橋を右折。すると右手に木内ギャラリーの表示がある。更に千葉商科大学に平行している細い道を進んでゆくと右側に真間山弘法寺(ぐほうじ)がある。この寺はもともと開祖は行基だと言う。求法寺と言う表記だったものが弘法寺に後年なる。弘法寺は紅葉狩りが有名らしい。手児奈(てこな)と言う国造の娘の物語が有名な土地であることも帰宅後wikipediaで調べ分かる。上田秋成の『雨月物語』中『浅茅が宿』も下総葛飾真間の手児奈の伝説を下敷きにしていると言う。調べているうちに、とても素晴らしい場所に今日は来ていたことが分かり嬉しくなる。
 緑の多い住宅街の中に芳澤ギャラリーはあった。美しい場所に、美しい建物の画廊であった。
 P . DelvauxDSCN3145.JPG訪問する客も少なく、静かな空間と時間をゆっくり楽しむことができた。『ペン画物語』を書くに当って、少しは版画やエッチングのことも知っておこうと考えていたが、それとは全く関係なく、有意義な時間を過ごすことができた。デルヴォーにとって鏡、海が特別な意味を持っていたことも分かった。彼は鉄だったようだ。
 『海岸』と言う作品は、何故かボッチチェリの『ビーナスの誕生』を思い出させた。つまり、デルヴォーの海への憧れが、あのボッチチェリの海とアコヤ貝の描写が共通しているように見えた。
 左の絵は『ささやき』絹織物。デルヴォーの女性。彼は女性の裸体を沢山登場させているが、全くいやらしさは感じず、ギリシャ彫刻の石膏像でも見ているような感じがする。それは彼が女性を美しいものとしては見ているが、官能的な完成では捉えていないからではないかという気がする。
 デルヴォーの絵はシュルレアリスムの手法があり、遠近法や多消点が使われているのが面白い。彼は、どのような派閥にも属さず、彼自身の好きな世界を描き続けたようである。P. DelvauxDSCN3142.JPG芸術家としては、一つの理想的な生き方をした人間ではないかと感じた。左にある『庭』の絵、少しルネ・マグリットにも通じる世界がるが、やはりこれは間違いなくデルヴォーである。その絵を見て、直ぐに作家が分かると言うことは作家にとって非常に重要な点だと思う。誰が描いか分からない作品を描いても、空しい。「これは間違いなく彼の絵だね。特徴があるもの。」とか言って欲しいのだ。言われなければまだ作風が確立していない証拠である。
 デルヴォーの版画で面白かったのは「クロード・スパーク『鏡の国』のための連作」作品群である。そんなに古い作家ではないのに、その挿絵は19世紀を髣髴させる。若くして死んだ妻を剥製にし、剥製が変化した時ナイフでばらばらに壊してしまう男の物語が暗示的で、読んでみたいと。こういう挿絵はとても魅力的だと思った。残念ながら、クロード・スパークとは仲たがいしたため、挿絵としては一緒には発表されなったようだ

 超現実主義、ポールデルヴォーに興味のある方には断然お薦めの展覧会である。11月27日(日)まで実施している。
 このギャラリーの手前には木内ギャラリーがある。こちらは旧木内家別邸である。大きな樹木に囲まれて立っている。今日P DelvauxDSCN3144.JPGは、残念ながら16:30を過ぎていたので中にはいることは出来なかったが貴族議員も勤めた木内氏の立派な建物を再建したものだそうだ。我が家は川崎市麻生区であるが、市川市のこのギャラリーまで行くのにまるまる2時間掛かった。もう少し近ければ都思うが、遠いからいいのかもしれないとも思う。
 左のえは『ダンス』と言う絵だったと思う。この絵でも女性は裸である少しもエロティシズムを感じない。

 


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小説『審判』の為の挿絵 [日記・雑感]

 Kannaさんが、そのお友達の誕生日の贈り物として作成したポップアップアート(飛び出す絵本)がありました。ドールハウスのようで、いかにも女性らしく、遊びも楽しさも伝わってくる明るい作品です。その中に、何故か、蟷螂が2匹いました。それについて私が自分の描いた絵を思い出したとコメントを書いておいたら、どんな蟷螂が見たいという返事が書いてありました。そこでその絵の一部をここに紹介しておこうと考えました。
DSCN3125.JPG その作品とは、こちら(左の絵)です。この絵はもともと詩『審判』と言う作品の挿絵の一枚として描いています。裁判所に於ける一場面です。
 10月に入ってから、この詩『審判』を小説にして、とある出版社公募に応募しようと計画を立てました。自費出版もいいけれど、同時に、第三者の評価も問うた方がいいだろうと。栗の里の愉快な女房殿も、今回はどんどん送っちゃえ、と私に発破を掛け、勇気と力を与えてくれています。涙がでるほど有難いですねぇ、こういうのは。(泣いていませんが。)それで、毎日数ページずつ、この詩を元に小説に仕上げてゆきました。本日めでたく完成したので、明日郵便局から発送する予定です。公開した物は応募不可となっているので、こちらでは紹介できませんが。自分としては、最善を尽くしているので、結果はどうなっても構わないと思っています。勿論、評価されることを希望しないわけはありませんが。
 これからは、あちこちにどんどん応募しよう、原稿を送って評価してもらおうと思います。

 Kannaさんへ:こちらが私の描いた蟷螂です。腹が大きいので、多分雌の蟷螂です。裁かれる私を、傍聴席から見ている場面です。隣にいるのは蠍です。Kannaさんの絵にも、スーパーのような場所にビーバーのような動物がぽつんと立っているのがありましたね。
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