So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

無題 [絵画]

20170522DSCN3482.JPG 2017年5月22日に描いた絵。左に犬を連れて帽子を被っているのは私。気付かぬうちに、黒い影絵のような人物を時々描くようになっていた。これは、もう完全に私自身であることが分かった、後から。描こうと思って付け加えたのではなく、必然的にそこに描かれることになっただけである。
 この絵の裸の男は、悪夢のような現実世界でひばしば見る男である。彼の顔は正視できないほど嫌いであるが、正視しないと危険なので敢えて見ているのかもしれない。危険なものから目を背けてはいけませんよ、何をするか分からないからしっかりと監視していなければなりませんよ。不断の努力によって、勝ち取った物は守らなければならないのだから。勝ち取っていなくとも、自分たちが与えられた自由は、不断の努力によって守らねばならない。
 この絵の題名をつけるとしたら『月夜の散歩と性的倒錯者の告白あるいは月夜の巡礼』になるかもしれない。
この絵以外にも、B5判の画帳には、もっと分かりやすい、明々白々な主張の入った絵もあるが、描きこむ気が起きなかったので、色を塗って一度仕上げたままになっている。気が向いた時公開するかもしれない。
 帽子を被った影絵の私の隣にいるのは、愛犬ホグホグである。彼は私にいつも付いてきてくれる忠実な犬である。我が家DSCN3483.JPGでは犬を飼ったことがないが、と言うのはいつの間にか、猫がいつくようになってしまうからだが、実は私は犬の方が好きなのである。犬派と猫派、どちらかと言われたら、私はむかしから迷わず犬派だと答えていた。にも拘らず、犬を飼ったことがない。猫がいるので、犬を飼うことができないような気がするのだ。この程度の犬派なのである。それでも、犬を連れて散歩している人がいると、ついその犬を見てしまう。ちなみに、私は、犬も猫も雑種が好きである。血統書つきのペットは、基本的には好きになれない。人工的な印象がつよいからだ。より自然なものが好きなのだ。
 植物も、観賞用の売られている植物よりも、路傍の野草、野原に生えている野草の方がやはり好きである。単一の植物が植えられている花壇よりも、自生した野草が咲き競っている姿の方が好きだ。子供の頃は、花壇に咲く花が美しいと教わり、実際に美しいとも思ったものだ。食べ物でもそうだった。濃い味、甘い味が好きだった。食材本来の味を楽しむよりは、美味しいとされている濃い味付けのされている物の方が美味しくて食べやすかった。しかし、最近は、食材そのものが持っている味を確認しながら食べる方が楽しく感じる。勿論、濃い味、人工的な味は美味と感じてしまうのではあるが、これは他の人と同様に美味しいと感じる味覚が同じようにできているのだから避けることはできない。
DSCN3484.JPG ギターの練習は、少し時間が減っている。昨日は弾く時間がなかった。技術が落ちているかと思ったが、今日弾いてみたらそんなことはなく、むしろ練習していた部分が僅かではあるが定着していることが分かった。何より、気圧が低くなると、指がもつれ、頭が回転しなくなる。気圧の影響の方が遥かにその日その日の出来に大きく影響する。梅雨の時季は特に好調不調の差が大きく、辛い日が多くなる。
 
 ところで、左の絵の中の男と犬、影絵の男と愛犬ホグホグは、これから描く絵のいくつかに登場することになるだろう。空間の共有者として、目撃者として、証言者として.

或いは私と言う人間ではなく、頭の中で妄想された預言者として。
 今日は、稲城市城山文化センターに行って来た。sigさんが制作された『三沢いきものがたり』(85分)と言う記録映画を見るためである。会場は100人ほどの定員であるが、予約で早々と満席になっていた。私は、当日並ぶことになったが、運よく席を確保することができた。
 三沢川で撮影された風景、植物、動物、昆虫たちがsigさんの愛情を込めて編集されていると感じた。青大将とカラスの決闘なども緊張感のある映像になっていた。また、青大将が道路脇を進んでゆくところを、雀の子供が面白がって飛び跳ねながら付いてゆくところなどは、本当にはらはらしながら見てしまった。自転車が途中でこのニ匹の間を通過したので、雀の子供は事なきを得てほっとしたのだが。コサギたちが20羽位だろうか、塒として使う木があったり。6年間撮り貯めた映像が、ふんだんに使われ編集されて、ゆっくり観察すると町の中にも多くの自然があることが分かる貴重な映像作品だ。

Guitar Cncerto second movement - second halfギター協奏曲第二楽章後半 [youtube]

ギター協奏曲の第二楽章を完成したので、後半を公開。
https://www.youtube.com/watch?v=9VPtE-knTYw&feature=youtu.beDSCN3462.JPG
 最初に書き始めたのが第二楽章の前半。その次に第一楽章。こちらは一旦完成したので第二楽章の後半に移った。通しで7分45秒の作品。やはり苦労するのはギターとオーケストラとの音量。また、ナイロンギターの音源が歪む、或いはスチール弦のような音に変化してしまうので、これが不満である。
 第一楽章については、構成上満足できないので手を加える予定。第3楽章については主題だけを書いてその他には一切手をつけていない。

Pythagoras Switchピタゴラ・スイッチ [絵画]

20170530pythagoras switchDSCN3450.JPG PYTHAGORAS SWITCHピタゴラ・スイッチ。直接手を下さなければ、因果関係を否定できるらしい。しかし、間にいくつもの過程をいれるかによって、因果関係は特定できなくなるのだろうか。それを解き明かすのは徹底した原因追求、究明である。学者は真理、事実、原因の追究、解明が仕事、本分である。諦めてはならない。
 私は、子供番組のETV『ピタゴラスイッチ』が大好きである。自分でも、あのような装置を作ってみたいと何度も思った。が、実際には、また試したことがない。
 右奥にいる兎は、鉄球を引っ張って、振り子のようにして彼から離れているもう一つの鉄球に当てるだろう。そうすると螺旋上になった樋を伝って鉄球は下に落ちてゆき、最後部にいるトランプの兵隊の背中を強く押すだろう。そうすると彼はつんのめって、前の兵隊を突き飛ばす。トランプの兵隊たちは次々に将棋倒しになって前に傾く。先頭の兵隊は、転んではいけないと思って、前に手を伸ばす。そうすると、たまたまそこには電池で動く模型の電車があり、そのスイッチレバーを前方に押すだろう。電車はゆっくりと前に進む。鉄路は途切れていて、停止のブロックが置いてあるので途中で止まるだろうるが、電車はその屋根に取り付けられている針で風船を割る。風船が割れると、二個の風船の間に挟んで留めてあったもう一つの風船が解き放たれて、上に飛んでゆくだろう。その下には、小さな火薬の包みが取り付けられている。秘密兵器「風船爆弾」にも似ているかもしれない。この風船爆弾はどこかへ飛んで行って、小さな爆発をするかもしれない。そこに人がいれば、ちょっとした怪我をするかもしれない。怪我をした人間が、兎に弁償するように要求すると、兎は「何もしていない。風船爆弾を飛ばしてはいない。」と言うだろう。直接、自分が何かしたわけではない、だから自分は責任は負わない、とれないのだと。なるほどね。

お客さん!付けにはできませんよ! [絵画]

2017-01-24DSCN3449.JPG今年2017年1月24日に描いた絵。

どうもこの二匹は、散々飲み食いして、楽しい時間を過ごしたご様子。金も払わずに、帰ってゆこうとしている所。
鳥の女将さんが、

「お客さん、付けはききませんよ!さっさと、払ってくださいよ!」というのだが。

いよっ!大婚約者!土俵入りの巻 [絵画]

20170518いよっ!大盗領!土俵入り。DSCN3448.JPG このところ連続して描いているのが、人形のようなロボットのようなもの。題名は『いよっ!大婚約者!土俵入りの巻』である。ロボット猫と蟹ロボットが大婚約者の登場を声援で迎える。彼の上にはやはり二羽の飛行ロボットが旋回する。
 偉大なる婚約者は、ファウスト博士よろしく、その魂を彼の大好きな人々に売ってしまっているので、彼等以外のことは眼中にない。誰と婚約したかと言うと、八方美人の危険な女性で、彼女はいつも護衛の代わりにライオンと熊を連れて歩いている。どこに行く時も彼らがこの女を守ってくれるのだ。彼女は、このライオンや熊が活躍する場所を作りたくて仕方がない。とても強い、ライオンは人間なんか一口で噛み殺すことができるし、熊は強力な前足で牛の首を折ることができる、と言った商人から買った。だから、その実力を試してみたくてしかたがないのだ。さながら、剣闘士が死闘するのを見て喜んだローマ市民たちのようなのだ。彼女にとって、平和に死ぬことよりも、戦って死んだほうがはるかに輝いてみえるのだ。病気で死んだり、怪我をして死んだり、線路に落下して轢かれて死んだりするのは全く美しくないし、許されざる種類の死だった。平和に、身内に看取られながら迎える死、そのような死は好きになれなかった。
 偉大なる婚約者が彼女に惚れたのは至極当然のことであった。価値観が全く同じだから。彼の頭は中身を抜いた缶と一緒で空っぽ。更に悪いことには、黒い煙が出ているのだ。頭と呼ぶべきかどうか分からないが、この最上部のパーツの何かが燃えているようだ。早く消し止めないと、大婚約者は、自分が歴史に名を残す名優だと思って、更なる愚行を続けるだろう。
 猫も蟹も、鳥達も、いい加減におだてたりするのをやめよ!

偶成 [絵画]

20170514DSCN3447.JPG 今日の絵は昨日夜に描いていたものを仕上げた。この生き物は口が二つあり、一つは舌が二枚あり、あることないこと喋りまくるために多用される。時々、感情のコントロールができなくなることがあることが知られている。もう一方の口は、都合の悪いことは一切口外しない至って頑固な口である。何を聞かれても、le mondeに書いてあるとか、New York Timesに書いてあるからそれを読んで欲しいと、教養を見せびらかすのである。そして、この口は決して質問に対する的確な、簡潔な答えができない構造になっている。そのようにプログラミングされているので、他者の干渉は全然受け付けないようになっているのだ。これらの口は、口ではあるが、用途が全く異なるために、通常の位置についていることができず、また、自分自身の顔の中であるにもかかわらず、両極端に移動してしまったのは、実にウェゲナー博士の大陸移動説の通りなのである。ゴンドワナ大陸は、地下のマントルの流れ、論理に従って、都合のよい場所に移動するのである。右側に見える閉じられた口は言葉を発する必要がないので、上顎も下顎も不要である。そのため唇のみが右側の空間に移動してしまったのであう。顔の下に見える髭は、本来鼻の下にあったのであるが、口が移動してしまったために、右の唇に付くべきか、はたまた左側の二枚舌のある口につくべきか判断ができないで、まるで唇のような形をしている(=擬態している)のである。その他の顔の部品も、福笑いの部位よろしく、むしろキュビスムの絵よろしく、各々が自己主張し続けるのである。蝙蝠は日和見の象徴かもしれない。この生き物は、自分の思うようにするのを鶴首して待っていたので、ろくろ首のようになってしまったのかもしれないが、そんなことは許しませぬと一寸法師が針の剣を抜いて制止しているとか。
 このような絵を描くつもりはなかったのだが、自然と出来上がるものについては拒否してはならない、生まれるべくして産まれてきている作品なのだから、などと自分自身を甘やかしている。
 連休中に、川崎市市民ミュージアムへ行ったり、芦花公園にある世田谷文学館にムットーニ・パラダイス(自動からくり人形)展を見に行ったりして、今回は大いに刺激を受けてきたにも拘らず、そちらを纏めることができない。特に、従妹が知らせてくれたムットーニ展の方は面白かったので、休み明けに職場で二人の人々に行って見てはどうかと薦めてしまった。

Oh, my lord! 殿、お気を確かに! [絵画]

20170506 Oh, my lord!DSCN3446.JPG 今日の絵は、昨晩描いていた絵。一昨日に別の絵を描いていたのだったが、その仕上げの序でに昨晩描いた方が、なんだか面白いのでこちらを先に紹介。例によって手遊びで描いている線から、必然的に産まれてきた形なので、この真中の妙なものは描かれるべくして出てきた線であると思う。題名は『殿、お気を確かに!』である。今回は黒のみで描いているが、別途色をつけてもっと大きな絵にする可能性もある。勿論、気が向いたらである。誰の依頼も受けず、気が向いたら作品を作る、それが私のやり方なのだからそうなるのだ。
 この中でまともに動けるのはロボット猫とロボット鳥だけで、殿は動こうとしても体と頭が有機的に結びついていない。突然切れながら、泣き始める、つまり分裂しているのである。前進すらできないのである。後退など今更できる訳もない。しかし、彼に同情は無用だ。口から怒りを発すると思えば、後頭部からは嘘八百を垂れ流す。本のさっき言った言葉を平然と食言し、自分は嘘を付いたことがないと嘯く、居直る。
 彼は、どんなに不必要なものでも、強引な説得力の全くない説明をつけて、売ろうとする。天下一の、世界一のセールスマンになるためか。誰のための商売なのか、考えたことはない。だから、そんな錆び付いた、金食い虫はいらないと言うと、全く身に覚えのない嫌疑で訴えると主張する。海辺で花火セットを買ってきて遊んだだけなのに、徒党を組んだと言うのだ。
 殿は、いつの間にか殿の座についていたため、帝王学を学んでいない。法律と憲法との区別もつかない。この殿同様に始末におえないのが、その取り巻きの案山子たちである。思考停止しているこの人形達の頭の中は紙粘土。揺り椅子の足がついているので、一旦緩急あれば、大きく身体を揺すって大騒ぎ。しかし、一歩も前進することはできない。揺れることに、殿に同調することにこそ意義があるのであろう。
 嗚呼、虞兮虞兮奈若何(愚者愚者奈若何!)

Youtube-『檸檬の木のある庭』

 一昨日、檸檬の木のある庭20170504DSCN3425.JPG従妹が『詩と思想』5月号に掲載されたという詩を送ってくれた。それをを読んでいたら、漠然と絵を描いてみたくなったので、クーピーペンシル、水彩絵具、ボールペン、マジック、万年筆等で描き上げる。詩と絵を合わせて作品にして発表してもよいかと尋ねると構わないと言う。早速、MovieMakerで作成してみる。



岡本太郎美術館へ行く [日記・雑感]

 20170429 okamoto taro museumDSCN3285.JPG昨日4月29日の土曜日は、午後に近所にある岡本太郎美術館へ行く。岡本太郎は、その絵画の作品や彫刻作品のいくつかを知っている程度で、全体像が見えなかったので、それを知り、果たして自分は岡本太郎をどう思うのか確認するのが目的だった。彼の著書の何冊かは読んでいて、その考え方には概ね共感するにも拘らず、彼の作品となるとどうしても好きになれない、本当に好きになれないのかどうか確かめてみよう、と。
 小田急線の向ヶ丘遊園南口から真直ぐに山に向かい、10分ほど歩くと、右側には日本民家園がある。そこを過ぎて少し登って行くと左側に「かわさき宙(そら)と緑の科学館」があり、ブルーとレインやD51が展示されている空間がある。そこを更に進むとメタセコイアが出迎えてくれる。緑の木々と池の奥に岡本太郎美術館がある。
 天気が荒れるということで、雲行きが怪しかったので、美術館に入る前に野外に展示してある太郎の作品を見た。予想どおりで、全く面白くない。美術館の中にある作品もこんなものなのだろうか、と少し不安になる。
 入口では券売機があるので、そこで自己申告で表示に合わせて画面を押して購入する。券には一般、団体などと表示がされたものが出てきて、それをもぎりの女性が確認するという流れになっているのだろう。
 会場に入ると、最初に迎えてくれるのは大阪万博のために制作された太陽の塔の顔の彫刻だ。少し期待感が高まる。油絵作品が目に飛び込んでくる。例の強烈な赤。赤は血の色で、岡本太郎には子供の頃に大量の血を見るという衝撃的な経験があったそうだ。しかし、どの作品も自己主張が強い割には、個性がなく、何か物足りない。この物足りなさは、変わらなかった。上野にある西洋美術館の松方コレクションにあるピカソの絵も、物足りなさを感じるのだから、それは同じこと。画面が大きいのに、ただ色を雑然と塗ってあるだけ、と言う印象を拭えない。完成度が足りない、と言う感想。岡本ファンにとってはそれがいいのだろうが、私には納得できず、要は好き好きの問題なのだろうと思う。もう一つ、色が汚い。渋谷駅に壁画があるが、あの色もどろどろしいて汚い、だから見たくない。色が綺麗かどうかと言うのは使う絵具にもよるが、それ以上に配色、画家の持っている色彩感覚だと思う。
DSCN3295.JPG 完成と言う点について少しだけ考えてみる。工業製品のように一定の完成イメージ、或いは完成予定図、設計図等があると、それ以下のものは未完成と判断することができる。芸術作品の場合には、この考え方があてはまるのか、と言うと難しい。一見、未完成に見えても、何か施すことによって今ある何かが失われてしまう、そんな時は、工業製品のような完成度に達する前に、完成としてしまうことになるだろう。
 岡本作品の場合どうかと言うと、むしろ完成かどうか見極める前の段階で終了されてしまっている印象が強いのだ。
 太郎は、頭のよい人間なので、頭でっかちの感が否めない。理論が先行してしまうのだろう。今まで人がやらなかったことを自分がやる、と言う意識が強烈である。その気持ちが強すぎて、空回りしているように感じられてならない。芸術と言うのは、他者がやっているかどうか、自分だけがやっていることなのかどうかが問題なのではなく、自分がそれを好きかどうか、それをやってないと自分でないように感じられるからやらずにはいられない、それが本質だと確信している。評価を受けるかどうか、それは自分が決めることではなく、時代と世の中が決定するものなのだ。時代にあっていれば、評価されることもあるのだが、そうでない人も多くいるのではないかと。
 岡本太郎の好いところは、芸術の良し悪しは自分自身が決めればよい、と堂々と発言している所である。海外の有名な権威が推薦しているから、とか、画壇の重鎮が評価してくれたから、と言う判断ではなく、自分自身気に入ったかどうかそれが全てであると宣言してくれたことだと思う。周りを見回しても、実際に自分の価値判断ができない人間の方が圧倒的に多いと感じている。
 また、岡本は、「すぐに評価されないこと」の意味を考えさせてくれる。後世になって判断が決まるものは、同時代人には適切に評価できない。再評価とか発掘と呼ばれるものもそうだ。尤も彼自身は若い頃から十分に評価され活躍してきたのだったが。
 犬の植木鉢(岡本太郎)DSCN3381.JPG岡本太郎の作品で私が気に入ったのは、下絵の描かれたものを強化プラスティック(FRP)で作り、色塗りしたもの、家具や食器などのデザイン、犬の形をした植木鉢などだった。FRPで作られた作品は、色の塗り残しがなく、しっかりと完成されているので、美しい。太郎がデザインしたものは、独特で美しいものが沢山ある。全てがよいのではない。犬の形をした植木鉢は、近所の子供が見に来たというが、遊びがあって面白い。他にも下絵として描かれた油絵を基にした壁画の石膏型。岡本の色彩感覚が好きではない私としては、彼の作り出した形そのものの面白さ、美しさをその石膏型に見いだす。とても魅力的である。
 彼は、創作しながら遊んでいたのだろうと思う。彼の部屋の一部が再現されているが、そこには彼の作った椅子や彫刻作品などが置かれている。なんと楽しい空間だろう。彼のこの遊びの世界は大好きである。
 もし岡本太郎に、うんざりするほどの攻撃的な顕示欲がなければ、もっと好きになれたのにと思う。パフォーマンス、著作活動、壁画の制作などを見るだけでも、魅力的な人間であることは今回再認識することができた。

Guitar Concerto 2nd movement [youtube]

 先週書いていたギター協奏曲の第二楽章中間部まで。

 ギターの練習を始めて、教則本も買ってきている。昨日買ったのは『カルカッシ・ギター教則本』(全音楽譜出版)。XG Works STとMU2000それにもう一つの音源Vienna Instruments SE。楽器同士の音のバランス調整が難しい。MU2000の音源はXG WorksでViennaの音源と一緒に演奏させると、音がずっと小さくなる。と言って、それをffなどにしようものなら、ミックスダウンする時に大きすぎてしまう、その調整に時間が掛かる。今日は、3回録音のしなおしである。ギターの音が、聞こえなくなってしまったので、音量を上げて取り直す。

https://www.youtube.com/watch?v=hklr8P5BwDA&feature=youtu.be

前の10件 | -
メッセージを送る