So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

出版計画 変更 [日記・雑感]

 残念ながら、出版計画は当初の予定を大幅に変更することになった。N氏は完璧を期する人間である。だから、今回の作品は彼は自分について書かれた部分は自分の気の済むように変更したい、しかし私にそのような変更を求めるほどの「神経はない」ので、彼について書いた文章は私の他の作品に入れ替えて欲しい、と書いて寄こしたのだった。その手紙が今日届いた。私は何度も電話を掛けるが、彼はいっかな出ようとしない。多分いるのだろうと思う。1998年の時と同じである。
 20160525DSCN3112.JPG実は、このようになるかもしれないという予兆はあったのだった。5月下旬に、私の元に、彼から手紙が送られてきた。書かれていることは非常にまともで、私は自分の過去の言動に恥じ入るばかりであった。正直にそれを詫びる手紙を書いて、彼から許してもらったと思っていたのだが。
 結局、私は彼に依存していたのだった。しかし、もう依存できない。自分自身で信じることを最後まで貫くばかりだ。それ以外に道は、方法は残っていない。
 今日の絵は、5月25日頃彼と電話で話し、妙な違和感を感じて描いた。その後彼からの手紙が届いた。感じたのは埋めることの出来ない溝であった。幾ら手を振っても答えない。勢いをつけて跳べば跳び越して向こう側へゆくことが出来るのかもしれないが、それをする勇気(勇気なのか、情熱なのか、嗜好なのか)もない。そして、彼からの手紙の衝撃が大きく、この絵は5月頃に公表しそうになった。しかし、そうしないで、なんとかこの溝を埋めようと努めた。彼には、しっかりと詫びて、どれだけ私が彼を必要としているかを訴えた。それによって、関係は修復できたはずだった。そして、この溝に橋を架けて完成とするつもりでいたが、ずっと放置していた。そうしたら、橋は結局架けることができないままで終わってしまったのだった。
 さあ、私は今日から仕切りなおして、出版の第二弾を練り直すことにしよう。
nice!(31)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

新二伯父の思い出 その3 [吉江新二の思い出]



伯父吉江新二の思い出 その三  2016/09/11  日曜日

 新二伯父が生まれたのは赤穂であった。医者だった俊夫伯父が自身の思い出を記した『満天星』の中で弟のこともあれこれ書いている。先ずは、新二と言う名の由来。

吉江新二 作品 40F 1957DSCN3109.JPG「僕が生まれたのは、伊那町(市)である。
 それから一年程して、父が母と結婚する前に下宿していた、赤穂の松屋旅館の土地を得て、我が家を建てた。その家に移って間もなく、弟が生まれた。新二とは、新しい家での二男と言う意味である。以来、双生児の様にして育ち、親密な、心の通った、彼との人生が今日まで続いている。「二人で育った我が家」と云うイメージも、この赤穂の家を舞台とした幼時が中心となっている。」


 新二伯父は子供時代どのような少年だったか。


 「活発な新二はちょこちょこ歩き廻って、父とパートを組んでいた三井さんのラケットで、顔を打たれて鼻血を出したことがある。
 彼は元気で人見知りせず、父の仲間の人達にも人気があって、今日の社交性の片鱗が既にあった。」

 子供の頃どのような綽名を頂戴していたか、人にどのように思われていたのかそれを大人になってからの言動と較べてみると興味深い。左の文章を見ると、当時の少年たちがしそうな在り来たりの答えをしている新二伯父に比べ、女々しいと言われそうな答えをしている俊夫伯父の方が現在の私には共感できる。

「坊やは大きくなったら何になるの?」とは、よく大人が子供に問う言葉である。そんな時、彼は、目を輝かせ胸を張って、「陸軍大将」と言う。僕は「花を作る人になるの」なんて下を向いて小さな声で答えていた。

 伯父がナポレオンと言う綽名だったことは母から聞いて知っていたが、どこがナポレオンなのかは分からない。脚が早く、全校で一番だったようなことを聞いた。当時のオリンピック選手の名を頂戴してオーエンスと呼ばれ、リレーの選手だったということも。ジェシー・オーエンスが一九三五年のベルリン大会で優勝しているから十六才で旧制中学の時のことか。


 彼の
(あだ)名は「ナポレオン」で、ナポと呼ばれて走り廻り、僕は「一人ぼっちのキリギリス」だそうで、キリギリスと呼ばれてしょんぼりしていた。今、ナポレオンは画家になり、キリギリスは医者となっている。口の廻らなかった彼が、今は談論を好み、絵の事、政治の事なかなか理屈を並べる。口達者であった僕は、社交性に乏しく、一人俳句を作ったり、薔薇の栽培をしたりしている。人間は、大人になる迄判らないものである。

 次の茸採りの時の思い出なども、新二伯父の芸術家としての一面が現れている。赤瀬川源平が路上観察を行ったが、場所がどこであれ物の形の面白さを見いだすのは芸術家や詩人に共通の特徴だろう。
 茸(きのこ)採りに連れて行かれると、僕は一生懸命に茸を求めて歩くが、彼は茸などに目も呉れない。あっちの木の株、こっちの枝の(こぶ)と覗いて歩いて、面白い木の株などを持ち帰る

 絵については、俊夫伯父には口惜しさがこの『満天星』を書いていた五十台の頃にも残っている。

 後の話になるが、僕も学年で一番絵が上手であったが、彼の絵は全校で抜群であった。

 二人の絵が学校を代表して、学校の県展に出た事がある。それ見よと、少々得意であった僕は、その展覧会を見に来た人が、弟さんの絵の方が上手であったと、母に話しているのを聞いてがっかりした。そして僕は中学に進んでからは、意識して絵をさぼった。

今日紹介する絵は一九五七年の作品。
40F 特別な題名はなくただ『作品』である。


 



 




nice!(35)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

原稿『神聖木曜日』他のこと [日記・雑感]

 このところ、自費出版の第二弾のために、原稿を推敲している。推敲しているのは私ではなく、N氏である。どういうことかと言うと、私が書いた文章について、事実かどうか彼が一つずつ確認して不正確な部分については訂正を求めてきているのだ。その指示に従って、私は打ち直し、原稿を印刷し彼に送る。しかし、この原稿は二十年以上前に書いたもので、彼も一度は読んでいて承知している作品なのだ。が、いざ、出版となると、彼は事実に拘っている。これは作品を仕上げるための喧嘩なのだ、と彼は予め手紙で書いて来た。私は正直、最初は面倒だと思った。腹も立った。一部には虚構も入っているが、これは私の作品だから訂正を求めないで欲しい、と言って突き放してしまう考えもあったのだ。が、虚構よりも事実の方が、どんなに些細な事実であっても遥かに面白く、説得力がある。他者の考えを私が代弁しても、おのずから限界があり、文章を俯瞰的に眺めるとどこかで矛盾が生じているはずなのだ。一方、書かれている本人がそれを読めば、自分の考えはそうではない、そのような言葉は使わないはずだ、そのような行動はとらない、等々、細部にわたって本人にしか語ることの出来ない事実を補足することができるのだ。今回はその典型的な例になっている。一応の最終稿を、明日には発送しようと思っている。(このインターネットの時代に、彼とは手紙および電話でのやり取りなのである。彼は、PCも持っていない。携帯電話やスマートフォンを持っているかどうか、尋ねたこともないが・・・)大変よい経験になっていることは間違いない。
 ちなみに、彼が二十年位前から書いていた劇団時代の短期アルバイトの思い出を、当初私は引用するつもりだったが、本文に関係しているようでありながら、事実関係を知らない人間が読んだ場合にはよく分からないと言う理由で削除した。十ページほどの引用だった。そのことは彼の気分を害していたのかもしれなかった。しかしながら、自分の知らない人間の、自分には興味の無いような事実の羅列を見せられることは誰も期待しないだろう。従妹に原稿のこの部分を読んでもらったら、よく分からないし、本文には入れないほうがよい、と言う率直な意見をくれた。私も、正直なところ付け足しながら、木に竹を接ぐような印象があったので、そのように彼に言ったあとばっさりと削除したのだった。
sunman 216-09-04 sundayDSCN3111.JPG 今日の絵は、二年前2014年にある程度描き、一昨年、昨年少し手をいれ、気に入らず、結局今回のような絵にしたのが、今年の最初のほうだったろうと思う。今日久々に画帳を開けてみて、この甲虫のような生き物が愉快だったので、公開する事に。題名は『元気な太陽君』。別段異常気象が続くからこのような絵になったわけでは全くないので、この太陽と現実の太陽とは関係がない。久々にB4判の画帳をめくっていたら、この絵が出てきて、その時には面白さを感じなかったのに、今日は愉快な気分になってので、このブログの絵に使うことにしたのだ。まるで正義の味方、ヒーローのようにさえ見えるではないか。
 完成ができない絵は何枚もある。こればかりはその気にならないとできない。
 ところで、先日電車のなかで変な生き物の絵を描いた。煙突のついているような生き物など。


nice!(35)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

伯父吉江新二の思い出 その2 [吉江新二の思い出]



伯父吉江新二の思い出 その二  2016/08/27  土曜日



 もっと早く伯父の思い出を書く積りでいたのだったが、遅くなっている。理由はその肖像画である。病床の写真を元に、二枚目のデッサンをしているのだがどうも線が気に入らないのである。伯父貴が許してくれないだろうと感じるのだ。「なんだ、こりゃあ。もっと正確な線を引かなきゃだめだろうが。土台、俺もっとハンサムだろう。大体、骨格の把握が不正確なんだよ。」等々と言われているような気がして、手が止まってしまう。ここでデッサンの絶対量の少ない私は挫けそうになるが、挫けた段階で制作の放棄になり、絶対に放棄だけはしない。諦めないで続けていると、必ずその結果案外好い作品になることを経験したからである。それもここのところ、連続して経験している。そしてそうこうしている内にデューラーの『ネーデルラント旅日記』(岩波文庫)を再開し、この本に載っている絵を見て、殴られたような気分になるが、起き上がってデッサンを続行している。

 結論から言えば、昨日デッサンについてはもう一枚新たに描き始めた。今までそこそこ時間を掛けたものに手を加えるよりも、新しい視点で描き直した方がよいと判断したのである。そして、既にかなり出来上がってデッサンの方には水彩で色をつけて、別の手法による試みをしてみることにする。小学校の頃は下絵よりも上塗りの方が得意だったので、そちらに切り替えてみた。

 吉江新二 「建物のある風景」1956DSCN3108.JPG今日ここに紹介するのは、伯父が三十七歳の頃に描いた作品『建物のある風景』。色、配色、形、線、構図など絵画にはいくつもの要素があるが、これらの使い方に自分と共通項があるかどうか、それが好き嫌いを決めるのではないか。劇団に入った時に、詩も小説も同様だったが、絵画についても全く自分独自の判断ができなかった。一緒に入社した美大の油絵科を卒業したO氏に、どのように判断したらいいのか聞いたことがあるが、彼の答えは不明瞭だった。じゃあ、誰が好きですかと言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチ、彼のデッサンは誰にも超えられない、と言う。また、ボッティチェリのビーナスが好きだとも。高階秀爾『名画を見る眼』(岩波新書)などを読んでいた私は、絵そのものは好きなのに、美術とは何かが分からなくなっていた。自分が必ずしも好きではない画風でも名画として紹介されていたからかもしれない。伯父がどのような判断基準を自分の中に持っていたのか、聞いたことがないので不明である。完全な抽象に移行する前の、過渡期の作品のように見える。抽象絵画には二種類に分ける分類方法も可能であるように思う。一つは具象的な、具体的なものを見ながら、想像しながらその一部を強調して絵として構成してゆく。もう一つは、初めから抽象的なものを想像しながら、形や色や線、構図などを気の済むままに描いてゆくもの。この分類で考えると、この作品は前者である。

 ところで、喪主挨拶の時に伯母が語っていたことが印象的である。「あたしの大学の先生が家に来たことがあって、あたしの作品が沢山並べてあるのに、その先生彼の作品の方ばかり見ているの。あたしの方がまじめで、一生懸命勉強して、作品も作っているの。彼の方は寡作だから、あんまり描かないの。それなのに・・・」嬉しそうでもあり悔しそうでもあった。伯母も画家であり、個展も銀座などで時々行っている。最近は、絵画の平面的な表現に飽き足らず、立体的な作品も作っている。「あたし、鋸なんかも使うのよ。」楽しい女性である。


nice!(41)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

伯父吉江新二 その1 [吉江新二の思い出]

 自分が無意識の内にも最も意識していた、影響を受けていた伯父が先週8月9日火曜日に96歳で他界した。高齢なので全く予期していなかったと言えば嘘になるが、予期したくなかった、伯父が他界するなどと言うことは考えたくもなかった。90を過ぎてからも元気に歩き回っていると聞いていたので。が、現実にはそれは不可避であり、受け入れざるをえないことであった。
My beloved Uncle Shinji 20160816DSCN3107.JPG この絵描きの新二伯父は、今年2016年の5月27日頃、腰が立たなくなり緊急入院した。一週間ほど経った6月6日の土曜日に私の両親と兄、姉、叔母、弟と私はお見舞いに行った。東京都東久留米市の滝山病院である。兄と私は電車とバスで行ったのだったが、電車の遅延もあり予定よりも30分ほど遅く着いたため、別行動をしていた両親や姉たちは見舞いを終え、食事のために料理屋へ移動してゆくところだった。急いで伯父の病室を訪れ、話し掛けた。最初ぼんやりしているようだったが、すぐに私のことを分かってくれたようで、大きく相好を崩す。が、声を発しても言葉にならず聞き取れない。それでも、私は6年前に伯父が話してくれた都立新宿高校の教え子たち、著名な音楽家二人の話をすると、本当に嬉しそうににこにこしていた。そして、話し掛けている私を、無言のまま大きな目をしっかりと見開いて、じっと見つめた。そんな伯父と私を見ていた兄が、スマートフォンで写真を撮ってくれた。もっと一緒にいたかったのだが、両親たちを待たせているので、やむを得ず、面会は短時間で切り上げることになった。
 その写真を元に、木炭と鉛筆で伯父の絵を描いてみた。こんなデッサンをするのは本当に久しぶりだ。こんな機会がなければ描いていなかったかもしれない。今回は、これを機に、伯父の肖像画を数種類描いてみたいと思っている。
 伯父は主体美術協会の創立メンバーの一人であったことがウェブを調べていて分かった。主体美術の協会の中心メンバーだとは母から聞いてはいたのだったが。私は、少しでも地位がある人間には、生来条件反射のように抵抗感を抱いてしまう傾向があるのかもしれない。今はそうでもないと思うが。毎年、主体美術展の案内ハガキが母に送られてきていたことも知っていたが、行った事は一度もない。毎年展覧会が開催されてそこに出品していると言うのは、何とも偉そうに感じた。実際を知らないからゆえの愚かな思い込みだったのだが、嗚呼、何と言う甥っ子か!?
 伯父に対しても、無意識の内にも意識しているためにだろうか、不思議な甘えのような抵抗を示してしまうのである。あえて歯向かってみる。伯父のその生き方、それは私が自分の頭で作り上げている妄想にすぎないかもしれないが、またそれを検証しようとも考えていないが、その生き方が影響を及ぼしている、伯父から強い影響を受けていると感じる。
 残念ながら、この伯父との接点は多くはないが、それでも兄弟の中では多い方かもしれないので、覚えている限りの思い出を書いておこうと思っている。そして、都立新宿高校絵画部O.B.会の皆さんが出版して下さった『吉江新二作品集』に載っている絵も、いくつか紹介し、自分なりの感想を述べたいと思う。それは大好きだった伯父が存在したことへの感謝かもしれない。伯父には、そんなものはいらねえ、と言われそうだが。


nice!(51)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

YouTube”Old Witch's Song"『老婆の歌』 [youtube]

 8月9日のEnriqueさんのボッケリーにの記事をみていた。貼り付けてあったYouTubeの2本目の曲が随分懐かしい。その旋律には聞き覚えがあった。考えたら自分が30年前に作曲していた曲8小節が同じであった。姪っ子たち甥っ子たちのために人形劇『ヘンゼルとグレーテル』を上演することにし、そのために台本を書き、人形やバックドロップ、小道具や照明や必要な物全てを作った。その中には当然作曲もあった。10曲ほど書いたうちの一曲である。(ファンファーレ、主題歌、お菓子の家、白鳥、子守歌、白い小鳥、舞曲、老婆の歌、老婆登場の音、グレーテルの独白のBGM)
 Enriqueさんが2曲目で紹介されているのは
https://www.youtube.com/watch?v=PWYv_MWsyBM
Boccherini: Nightmusic from the streets of Madrid
第9番「マドリーの帰営ラッパ」の最終楽章では,奏者がだんだん退場して行くと言うパフォーマンスまであります。

である。私の曲は次のurlで。
big head09-08-23 sunday.JPGhttps://www.youtube.com/watch?v=63IYh6zl5zc&feature=youtu.be

尚、使用した絵は、『大頭と鯨』と言う絵。クレヨン等で描いてある。老婆の絵を用意する時間がなかったので、こちらを使った。

 歌の歌詞は

人間のこどもは美味しいよ
ぐつぐつと煮て食べると美味しいよ
人間のこどもは美味しいよ
こりりこりーこりりこりー美味しいよ

 


nice!(39)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

YouTube『大男の対決』 [youtube]

 随分、ご無沙汰してしまっていたが、何もしていなかったのではなく、実は自費出版の第二弾に向けて原稿の準備をしていたりした。ペン画家のモロさんの方は、特に内容について何の感想もなかったが、『神聖木曜日』の主人公であるN氏は、非常に細かい事実関係にも再度目を通してくれて、3週間に亘って5通の手紙を送ってくれた。その手紙の中には、実際は書かれていることとは異なるけれども、もし虚構として書いているのであれば彼は異を唱えない、と優く表現された意見が書かれていた。しかし、事実は変に頭で拵えた表現よりも強く、説得力があるものだ。だから、受けた指適については殆ど全部、彼の言う通りに変更した。(このインターネットの時代に、書簡でやりとりする、この原始的とも言える手法がとても魅力的だった。彼は直接会って話すことよりも、文章にすることを望んだ。それは正しいやり方かもしれない。十分に考えて書く。書き間違いは、言い間違いよりも大きな間違いである。一般的には、十分に考えなければ、考えは文章に書けないからだ。)
 いずれにせよ、その作業が今日やっと終り、明日郵便で最終原稿を彼に送るのだ。
 面白いもので、N氏の伝記『神聖木曜日』を書いている時は、モロさんから『ペン画物語』に関するメールが余り送られてこない。両方が同時に進行していたら、頭が少し混乱していたかもしれない。
 今日は、一段落し、気分的に少し達成感があった。そこで、YouTubeの作品でも作ろうと思い、フォルダーの中にあるWaveファイルを見たが、どうも大体は使ってしまっていたり、今日作りたいと言う気分にならないものしか見当たらない。そこで、新しい曲を書こうと決めた。この新しい曲は、しかし、新しいものではなく中学校の頃、高校の頃に書いた旋律を使うことにした。
 the silence of the wood.JPG『大男の対決』は『ルトリアの魔女ロサ』(『ルトリア8国物語』第一話)の一つの章である。ロサに魔法使いルピーツが与えた課題の一つ、大男の髪の毛を手に入れること。彼は森を支配する悪党の大男だ。その髪の毛には特別の成分が含まれているので、秘薬を作るためには不可欠なのである。優しくて善良で力は強いが、動きの鈍い大男が、ロサを手伝ってくれるという。悪党の大男に戦いを挑んでくれることになる。音楽の冒頭は朝の森の情景。この部分の旋律は中学校3年の時に書いたものをそのまま使っている。途中から変わるが、ここからは今日全く新たに書き足した。いずれにせよ、途中まで。
https://www.youtube.com/watch?v=G39ANTmVhRc&feature=youtu.be
nice!(38)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

Holy Thursday second version 神聖木曜日 第二版 [youtube]

 30年以上前にN氏の書いたedefefgfgeであるが、前回『神聖木曜日』と言う仮題でYouTubeにした。今日は、その編曲を少し変えてみたくなったので、MU2000とVienna Instruments SEのstringsを使って書いてみた。 主旋律は口笛の音に、伴奏は男声合唱と女声合唱。そして、鐘の音も入れたくなったので、最初と最後に入れることになった。
DSCN3095.JPG 画像は、数年前に大学ノートにクーピーペンシルで描いた緑色の服を着た少女の絵。この少女で物語を書く予定だったが、まだ書いていない。この少女は分度器占いが得意なのであるが、・・・あぁ、それからが何も書けない。
 詩は、N氏の大好きな中原中也の『山羊の歌』より『少年時』。井上陽水にも『少年時代』と言う名曲があるが、やはり、夏や少年時代と言うのは、詩人やアーティストを捉えて放さないものなのだと思う。
 ペン画家モロさんのために『ペン画物語』を書くという約束をしていながら、モロさんからは画像や情報などを大分貰っておきながら、まだ冒頭しか書いていない。にもかかわらず、それなのに、先にYouTubeに取り掛かるのは、私のいつものやり方なのである。
 今日は久々にそれなりの量の雨が半日降り続いていたので、植物達が安心していることと思い、私の心も大分落ち着いている。十分に睡眠もとったし。
 だから、きっと、後程『ペン画物語』には着手し、書き進めることになるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=qtLqDs4NX78&feature=youtu.be

 


nice!(54)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

Holy Thursday 神聖木曜日 [youtube]

DSCN3088.JPG 出版の第2弾は『モロさんの略伝』と『神聖木曜日』が中心になる。両方とも、ほぼ打ち終わっているが、最後に少し追加しようとしていて、それに時間が掛かっている。職場の方の仕事が落ち着かなかったために、随分妨げられてしまったのだった。
 そでも、なんとか方向だけは決めているので、後は気が向いたら一気に書き終えることになるだろう。
 『神聖木曜日』ではN氏を扱っているが、N氏の書いた曲をどのように紹介したらよいか、迷いがあった。今回YouTube用に作成したのは、歌詞の書き込まれていないN氏の曲である。もう、20年も前に、私はこの曲を少しバロック風にバイオリンの独奏用にして、録音してみたことがある。それをカセットテープにして渡すとN氏は、予想に反してだったが、気に入ってくれた。だから、今回も同じように、しかし音源はもっとよいものを使って録音してみた。題名をどうしようか考えてたが、曲に歌詞がついていなかったので、題名にする手がかりがなかった。結局、彼を紹介する文章の題名と同じ『神聖木曜日Holy Thursday』にすることにした。
 ちなみに、この神聖木曜日と言う題名については、従妹がその由来を知って、胸がきゅんとした、と言ってくれた。私はこの題名が好きだったので、そう言ってもらってとても嬉しくなった。
https://www.youtube.com/watch?v=HPRWmdpSs1E&feature=youtu.be
DSCN3086.JPG 挿絵は、20年前に、自転車に乗って近所を回り、気に入ったものを簡単にボールペンで描いたものである。
 いい加減なところが多いが、懐かしく、それでも記録としてすこし役に立っている。

  尚、YouTubeの最初と最後に出てくる絵は、東京都多摩市永山にある公園の歩道の風景。公園の丘の上にあるベンチでN氏と私は長い時間、あれこれ話をし、その後いきつけの喫茶店へ移動し、話を続けるのだった。


nice!(64)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

『第15回 風景を描くペン画展』へ行く [日記・雑感]

 異次元の道20160611土曜日DSCN3080.JPG今日は、国立のコートギャラリー国立で開催中の『第15回 風景を描くペン画展』へ行って来る。JR中央線国立駅南側で、線路沿いの通りに面している、便利でお洒落な画廊。しかも、地上1階なので、通行人も中の様子を見ることが出来る。画廊は手前と奥に2箇所あり、今回の展覧会は手前の会場。
 ガラス扉は開いていて、中に人々が7人位いた。モロさんが講師を勤めるカルチャーセンターの教室の人々は、多くが定年退職した方のようで、平均年齢は高く、若い人の姿は見当たらない。入ってすぐ右側の壁に、モロさんの『異次元への道』が展示してある。想像していたよりもはるかに大きな作品だった。25号(80cmX60cm位)はあったと思う。葉書に載っていた写真では、どの程度描きこみしてあるかが分からなかったので、どの位描くと柔らかさや厚みがでるのか、原物をみて確認できた。
 順番に受講生の作品も見て行く。素晴らしい技術を持っていて、既に画家として通用する作品もある。銀杏の樹皮を見事に一定のリズムで描いて再現している絵もある。感心しながら見ていると、突然「こんにちは!」と横の女性に声を掛けられる。誰だろうと思ったら従妹のAっちゃんだった。私が今纏めている出版第二弾の原稿(『師岡正典氏の略伝』、『神聖木曜日』、詩『審判』)を読んでもらったら、モロさんのことを只ならぬ人だという感想をくれた従妹である。異次元の道DSCN3081.JPG今回の展覧会を知らせると、モロさんに会ってみたいとのこと。彼女は夕方から知人の合唱をオペラシティに聴きに行く前に、来てくれたのだった。もしかすると、時間の調整ができないかもしれないと言っていたので、会えないかもしれないと思っていたのに、殆ど同じ時間に到着していた。彼女は10分くらい前に着いていた。
 早速モロさんを紹介しようと、道路側のテーブルに坐っていた二人の男性に「済みません、師岡さんはいらっしゃいますか?」と尋ねる。「今、控え室で弁当を食べていますね。」と言うので「ああ、そうですか。それでは、暫く待っています。」と言って、再び絵を見始める。
 モロさんは、自分のペン画は彩色をしないことにしているが、色を塗りたがる人もいるので、彩色も教えている。
 彩色された作品の中に、詳細まで描かれていないという点では完成度は高くないが、味の或る、挿絵として十分に通用する絵もあった。
 一寸してから、モロさんが出てきてくれたので、慌てて絵を見ていたAっちゃんを呼んで、紹介する。「あら。普通の人ですねぇ。」と笑っている。「俺は、普通だよぅ。」とモロさん。私がモロさんの変わっていると思われる部分も誇張して描いているので、従妹ももっと怪しい人物を想像していたのかもしれな異次元の道DSCN3082.JPGい。モロさんは、自分の絵の所へくると「ここの部分が現実で」と樹の枝が横に伸びて楕円形の明るめの空間を指した。「この建物の中で人の声や笑い声が聞こえたりすんの。」左側の暗い建物の部分を指して「ここの部分が非現実なの。」「で、何か物語とかはないんですか?」と私が尋ねると「そんなもん、ない。こんで終わり。」とにやにやしながら言う。私としては、モロさんの特異性、特徴があることを大いに期待してそう質問したのだが、質問はここでばっさりと切り捨てられる。いかにも、モロさんらしい。
 今日、この展覧会へ行ったのは勿論、この『異次元への道』を見ることだったが、もう一つの目的があった。それは、モロさんが『ペン画物語』と言うものを構想していて、その文章を私に書いて欲しい、ついては今日話したい、とメールで書いていたので、モロさんの計画について具体的に知ることだった。結論としては、企画出版(商業出版)にならない場合には、この話は、話だけになるとのことである。モロさんが『ペン画物語』の案を出版社に持ち込んで、採用してくれるよう掛け合うという流れである。
 『ペン画物語』について、思いつくままにあれこれ話していたが、受講者の人々の簡単なペン画歴について述べ、その中心として『師岡正典氏の略伝』があればよいかもしれない、と言う案はそこそこ現実的のように思われる。
 最終的に、今日の段階では案がはっきりしないので、『ペン画物語』の全的的な構想をもう一度頭を捻って考え、案をモロさんに送ると約束をして別れた。

※上記展覧会は来週6/14の火曜日まで開催中。
nice!(62)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート
前の10件 | -
メッセージを送る