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嬉しいニュース:でかした、栗の里の愉快な女房殿! [日記・雑感]

Mention spéciale du Jury International


Hiromi Hakogi dans Her Mother de Sato Yoshinori (Japon)

 佐藤慶紀監督作品『Her Mother』がフランス東部の小さな町Vesoulで開催される第23回ヴズール国際アジア映画祭(Palmarès du 23ème Festival International des Cinémas d'Asie de Vesoul) に春本雄二郎監督『かぞくへ』が、コンペティション部門に招待出品されたそうである。その審査発表があり、映画は受賞は逃したものの、審査員から202000年正月に物す その1.JPG年の歴史で出したことがないと言うMention specialeを気になるあの女優に出そうと言うことになった。それがなんと、殺人犯の母親役を演じた栗の里の愉快な女房殿であった、という知らせが2月15日にフランスにいた監督から彼女のスマホにメールが届いた。なんかの間違いでしょう?と、監督に確認しながらも、後で送られてきた添付写真を見て大喜び。
 この国際映画祭の審査委員長はイランの女性監督Rakhshan Bani-Etemadと言う方だが、彼女が強く推薦した結果この賞を受賞することになったそうである。韓国での上映の際にも審査員の一人が褒めてくれたらしいので、きっと印象的な演技だったのだろうと思うけれど、まだ見ていないので何も言えない。
 まあ、どれくらい目出度いのか分からないけれど、めでたさも中位なり、おらが春、でも何でもいいのだ。目出度いものは目出度い。きっと、未来が大きく開ける、かもね、などと言って盛り上がっている。

予告編のurlは下記の通り。ビデオの後半にしょぼくれた顔をして写っています。
https://www.youtube.com/watch?v=gbIHbsobeWE

参考:
https://twitter.com/FICAVesoul


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補遺 初めての、しかし素晴らしい出会い [劇団木馬座の思い出]

 今日2月11日の土曜日は、新宿で劇団木馬座作品の多くを演出と振り付けをされていた小森安雄先生の息子さんにお会いした。私のブログに書き込みをしてくださった為に実現した出会いだった。横顔を拝見していると、やはり親子なのだなと感じる。
 駅近くの喫茶店で、二時間ほど劇団の思い出話をすることができた。音楽を担当されていた先生方(斉藤恒夫、小森昭宏、越部信義)、声優をされていた方の何人もが亡くなっていることを知る。そして、懐かしいパンフレットなどと一緒に、貴重なビデオ作品2本(ベータ版)をDVDに焼きな直したものを頂snow white mokubazaDSCN3192.JPG戴した。パンフレットは私の名前が制作助手あるいは演出助手として記載のあるものを選んで持ってこられたのことで、そのお気遣いが嬉しい。頂いたDVDニ本の内容については、改めて記事にするかもしれない。兎に角三十年以上前の作品が映像で見られるというのは、なんとも感慨深い。若かりし頃のことをあれこれと思い出す。
 劇団の長嶋武彦社長は出版業界の出身だった為だろうと思うが、木馬座から月刊誌『もりのこ』という雑誌を発行した。その月刊誌も3冊頂いたのだった。その中に私が制作した仮面や小道具の舞台写真が掲載されていたので、紹介しておきたい。
 左の写真は、『しらゆき姫と七人のこびと』の一場面。舞台背景美術を担当したのは一緒に入社したOKさんで、彼は既に別の記事でも書いておいたように『しらゆき姫と七人の小人』では、白雪姫の仮面、森の小人達の仮面を作った。この写真の右側にある大きな口を開けた顔の形をしているのは、壁の鏡で、この原画もOKさんが描いた。大道具の製作は「かにや」だったと思うが。全般的に美しい舞台背景だった。衣裳も、私が木馬座に在籍していた中では、この作品の物が最も美しかった。

※かにやは新橋演舞場にあったと思うが、一度しか行ったことがないので、曖昧である。『シンデレラ』の大道具の一部、王宮の階段の補修を依頼していたのではなかったかと思うが、その大道具を、新運転という運転手組合所属のKさんが運転する4トントラックに一緒に乗って受取りに行ったのではないかと思う。
 
 そして、私が作ったのはこの写真の中央にいる妃の面である。嫉妬に狂う場面では口が裂けたように大きくなる。これも既に以前の記事で書いているように、仮面の内側に数ワットの電球を10個ほど並べて電圧を上げて内側から口裂け女のような口の形を浮かび上がらせる仕掛け。この妃の役をしていた女優は、電圧が上り光度が増すと、仮面の中の温度が上って怖いと言っていた。その人は、今は福島で独特なパフォーマンス集団を率いている。
 鏡はハーフミラーになっていて、「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰だい?」と妃が尋ねると、鏡の裏側の照明がフェイドインし、鏡の裏側に置いてある白雪姫の顔が見えるように照らし出す仕掛けだった。
 
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ただ何となく [随想]

 気持ちだけで、全て空回り。今日の絵も、手遊びに描いていたものに、水彩で色付けをしたり、ボールペンやらで線を引いてい20170121DSCN3190.JPGたら、当初の素朴な少女が少し愁いに満ちた女性になってしまった。それで、どうやって完成させようかと迷い始め、放置。今日再び、線を少し引いてみると、明治時代頃の女性風に感じられた。そこで、『一葉青春日記』より抜粋して書き写してみる。
 絵には華やかさを加える為に、金色を使ってみる。金色は、結構好きで、たまに使いたくなる。絵の具の中にアルミの粉が混ぜ込んであるために、見る角度によって光を反射するのが、なんとも楽しくなる。黄金や真鍮の金色とは異なり、光らない方向から見れば黄土色に近く見えるかもしれない。実は、最初はこの女性の周りを蝶々が飛んでいたのだったが、雰囲気に合わないので塗りつぶしてしまったのだ。桜の花が散る、隅田川の土手の風景でもよかったかもしれない。
 絵に文字を書いてしまうことは、印象が固定されてしまうことが難点であるかもしれない。勿論、印象を固定する為には文字はとても有効だ。便器に『泉』という題名をつけて展示されてしまうと、それで一つの作品だと思わされてしまう、作品だと思わなければならないと考えてしまう。便器に過ぎなかろうが、作品だとして展示された時点で作品になっている。ピカソが自転車のサドルに角をつけて『牛』という題名をつけてオブジェを作ったが、あれは誰が見ても牛の頭である。牛の絵を描いて『牛』とするのも、いかにも芸が無い感じがする。不条理漫画を描く吉田戦車の作品に、水泳プールの壁に「プール」と文字を描き続ける少年の絵があるが、プールにプールという文字を書く無意味さが面白い。
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蒲鉾板作品 その1 [随想]

 今年は、久々に年賀状用に蒲鉾の板を利用して木版画。このブログに書き込みをしてくれているKannaさんが年賀状をゴム版版画で作成する予定だという記事をみていて、やってみたいなと漠然と思っていた。それを後押ししたのが野鳥ブログdoudesyoさんの昨年記事の総括版「重大3 名古屋コーチン」DSCN3189.JPGの写真。その赤茶色の鶏の愉快な写真を拝見していて、蒲鉾板で20年振り位になるけれども、小さな木版画を作ってみようという気持ちになった。あえて黒一色にしているので、少しだけ華やかさを出すためにAyoan Igokahのイニシャルの判子を押した。(この判子はシャンペンのコルク栓を使って、昨年夏に作成)送った相手は数人限定。画像にある文章は、『古今和歌集』の冒頭。筆ペンで小さな文字を書くのは難しいと感じる。もっと大きな字であれば、もう少し勢いを筆にのせることができただろうと思う。
 今年の冬休みは水曜日まで、10日以上連続の休みだった。あれこれやりたいと考えていて、少しだけ計画もしていたが、ほぼ未達成。殆ど読み終わっている本4冊を読み終えようと思っていたが、結局は休みが終わってから読み終えることに。模型飛行機(ライトプレーン)を作ってしまおうと思ったが、机の上に一回置いて設計図と部品を確認するだけで終わった。動画や人形劇に使える小さな劇場(ボール紙)を作ることにしていたが、こちらも箱だけ確保して中断。
 一方、B5判と小さいながらも絵は毎日1枚以上は描いていた。これは当初全く予定していなかった。中断していた河童の看板にも取り掛かったが、再び保留に。『風神雷神図』は鉛筆の下絵を終え、それぞれの神に一回目の彩色をする。何度も塗って、深みを出したい、だからこちらも保留になっている。玄関扉を交換したので、それに合わせて、郵便受けに油性ニスを塗ったり、バッタの看板を壁に打ちつけたりした。私という馬は、なかなか川辺に行っても水を飲まないで、道草を食べてばかりいるのである。


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弦楽四重奏曲(Etude)より第二楽章 [youtube]

 本日1月2日、Enrique様のブログを拝見したところ、ヴィヴァルディ『四季』の冬の第二楽章が公開されていた。少し早めのテンポで録音されているが、ピツィカートは雨の描写だという解説があった。我が家にもイタリア語の書いてある楽譜があるが、意味を調べてみることはなく、高校時代より、この曲からは雪が深々と降る温かい室内で暖炉の前で寛いでいる様子を勝手に想像していた。ピツィカートの部分は、暖炉ではじける枝の音、或いは湯気を出しているポット。第一楽章のトレモロが好きで、『四季』のなかでは一番好きだった。この第二楽章も旋律が美しく大好きだった。もちろん今でも好きで、バイオリンを練習する時にも、いかにしてビブラートを美しく出せるか、ポルタメントが艶っぽく出せるか意識している。
 Enrique様のこの演奏を聴いていて、学生時代に書いていた弦楽四重奏曲の習作の第二楽章を思い出し、このところ作曲からは遠ざかっていたので、これを機会にとりあえず完成させておこうと考えた。縦笛しかない時に作っていたので、最初は縦笛を使って書いていた。
 この曲弦楽四重奏曲習作第二楽章は、ヴィヴァルディの『四季』の冬、第二楽章に大いに影響を受けているので、演奏する時は温かい部屋、暖炉、何気ない楽しい会話などを思い浮かべて欲しいと思っている。挿絵は、本日零時頃に描いておいた絵で、セロ弾きのゴーシュ風であるが、物語には出てこない場面や動物も一緒に描き込んである。
https://www.youtube.com/watch?v=S9qeCsrCCeE&feature=youtu.be
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風神雷神図 下絵 [絵画]

DSCN3171.JPG 『風神雷神図』の鉛筆による下描きは終わった。これからはどのような色で塗ってゆくか、顔の表情はどのようにするかを考えなければならない。そもそも何故風神や雷神を描きたいと思うのか。それは自分でも疑問に思っていることである。なりゆきといえばそれまでなのだが、なぜか描きたくなったので、気の済むように描くしかない。左の絵は、雷神の頭部である。日本風土記だったと思うが栖軽という人物が雷を二度捉えた、という話を中学校の国語の教科書で読んだ記憶がある。雷の姿は鬼である。羅生門の鬼とか、鬼は怖い存在であり、また非人間的な存在として私が微かな憧れも持った存在である。西洋の妖精や魔女も同様の存在かもしれない。雷様は藤原道真であるとも言われているようであるが、怖いが一目置かれる存在でもある。そういう存在は、不可欠ではないかと思う。何でも自分の持っている知識の範囲内で説明がついてしまうという存在など、深みがなく永遠に追い求めるかちもない。自分自身では説明ができず、説明を聞いても理解できないからこそ面白いのではないか、と思う。
 子供の頃は鬼は本当に怖い存在だった。夢で魘される時は、何度も鬼が出て来た。東京タワーをまたいで歩いている夢も見たが、狭い堂々巡りをするような道、双六のような道を鬼に追われて逃げている夢を何度も見て、夜中に目がさめたものだ。あの時の鬼はこのような類の鬼だったに違いない。非人間的で、情け容赦なく、人を食ってしまう。理由無く喰われてしまうことの恐怖。自分がいい子でいれば助かるのではなく、単純に鬼が自分を見ると食われてしまうという恐怖である。非合理的な死である。鬼は別段人間を食べなければならないという必然性はない。しかし、そこにいるから追いかけて喰ってしまう。ああ、なんだか、平和に暮らしたいと思っているのに、一方的に悪者にされて攻撃されている人々(特にアフガニスタン人、イラク人、イラン人。イスラム文化、サラセン文化は私を魅了して已まない。)を思い出さずにはいれない。
DSCN3170.JPG  こちらの緑色の鬼は風塵である。宗達の絵を見ていて、その鬼の耳が驢馬か馬の物のように見えたので、早速採用。牛頭馬頭という獄卒の印象があるのか。彼らの耳を鬼も持っているのだろうか。人間のようでありながら非人間的な部位を持っていることの無気味さ。
 因みに、ここに挙げた下描きは『風神雷神図』にはそのままでは登場しない。猪首であること、怒り肩であること、筋骨隆々としていること、それが今回の『風神雷神図』で特に注意したことである。
 * * * * * * * * * * * *
 三日前にやっと河童のレリーフを再開した。どの部分が自分の創作意欲を損なっていたかがわかったのはよかった。それは紙粘土で作っていたため、下半身の部分が大きすぎたことだった。そのため美しさが感じられず中断を余儀なくされたのだった。今回は、彫刻刀でその不要な部分をどんどん削った。そうしたら、河童の本体が待ちわびたように本来の姿を現した。これでよいのだ。しかし、再び何かが私に中断を命じた。自分の目指しているものとどこかが異なる。また中断してしまった。こんなことがたまにあるのだ。
 『私のナジャ』と言う散文詩、半分体験記のような作品があるが、この作品を一日でも早く完成させたい、そう思っている。既に一度完成させた作品のより完成度の高い作品になるだろう。机の上にはアンドレ・ブルトンの『ナジャ』『溶ける魚』ゴーチエ『死霊の恋・ポンペイ夜話』『ロートレアモン詩集』などが平積みになっている。こうやって私に睨みを利かせているのだ。


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PERCUSSION INSTRUMENTS [youtube]

DSCN3153.JPG久々のYoutube。今日は、今年夏2016年8月30日に描いた絵とpercussion instrumentsのみで録音した音を一緒にすることで作品にしてみる。旋律がないので聴きづらいかもしれないと思いつつ、アフリカやインドの打楽器のみの演奏にも惹かれるので、今後はあれを目指したい。

 https://www.youtube.com/watch?v=48lQhZNgPBo&feature=youtu.be


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風神雷神の図 [絵画]

20161217DSCN3149.JPG風神雷神の図。これは下絵。何も見ずに、腕が赴くままに自分なりに風神雷神を描こうとしてみることで、改めて構図の重要性を痛感する。このニ神をどのように配置するか。近づきすぎているので、無理やり画面に押し込んだ印象になっている。事実、縦横が屏風に比べると遥かに正方形に近い四角形なので、一定の大きさで描くことによって、結果的に近づくことになった。また、雷神はでんでん太鼓を想像しながら描いたのだが、子供っぽい雰囲気になってしまった。また、風神は風袋を片手で持っているし、サンタクロースの贈り物袋のような風袋になってしまっている。宗達の屏風絵を見ると、答えが瞬時にして分かる。何をどのように配置するべきか、
 それでもやはり一度描いて見ることによって、難しさ、重要な点が分かる。
 『風神雷神の図』で何を私は描きたいのか。勢い、力、怒り、肉体美などなど。構図の練習もしておきたい。
 この絵には、最初クーピーペンシル、その後ボールペン、朱色鉛筆、色鉛筆、水彩絵具、修正液、このような順序で描いていった。宗達の絵では、随分様式的な美が追求されている。雲の形、領巾のような布の流れるような形、風神雷神の見得を切ったような姿勢・・・金屏風がまた背景としては非常に効果的である。
 今日の『風神雷神の図』は20×25センチの画帳であるが、もっと大きな10倍以上大きな画面に描いてみるつもりである。2014年の2月に描き、その後放置し、時々手を入れ、今日2016年12月17日(土)に一応完成したことにした。今日は、この絵のある画帳の3作品にも大幅は手をいれ、完成させた。どうしても我慢ができず、気に入らず完成できずに放置しておいた絵ばかりだったが、今日は不思議なことに色を塗ってみたいという気持ちになった。
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シュルレアリスト風題名『三権分立の形骸化の予感或いはあれはダリだ!』 [絵画]

 今日は、先日の日曜日に出勤した振り替え休日。朝、久々にゆっくりしていたら、少し面白い夢を見た。周期律表の階段を上って遊んだり、ブロックになった元素記号を運んだり。自分はやはりシュルレアリズムから自由ではないのだ、あちらの世界の人間なのかもしれない、と感じる。
DSCN3148.JPG 今日の絵はとりあえず題名をシュルレアリストのダリ風に付けてみる。『三権分立の形骸化の予感あるいはあれはダリだ!』である。最高裁判所の判断には、多分に政治的な部分があり、その影響が色濃くでることがある。それは本来、行政の影響を受けてはならず、独立していなければならないのだが。それを見ていると、時代が逆行しているように感じられ、そら恐ろしくなってくるのだ。
 この絵は、例によって手遊びで描いていたものに少しずつ色を付け、上から別の絵を描き込み、色を更に追加した。もともと青いボールペンを使い切るために一色で描いていたのだったが、黒、赤のインキ、朱色の鉛筆、クーピーペン、白色の修正液などを使って仕上げた。この作品はB5のスケッチブックに描いてあるが、もう少し大きな絵に描き直すかもしれない。自分の考えをはっきりと主張した作品として。
 この空を飛ぶ車輪付き人形ロボットは、本来猛スピードで地上を走り回るだけのものだったのだが、手帳に描いている時に、空を飛ばせて見て、無人殺人飛行機を連想し描いてみた。予想以上におぞましい、不快な印象を与えるロボットになった。
 科学も工業もエンジニアリングも、本来の目的をしっかりと見据えることが必要である。これらに従事する人々に、哲学、信念、愛情が欠落していたら、人類は彼らの作り出すもののために大きな被害を蒙ることになるだろう。人が人をいかに効率よく、大量に、一瞬で殺戮できるかを研究している人間がいるとしたら、それは狂気でしかない。
 そも、万物は何のために存在するのか。決して、存在を否定され、破壊されこの世から消滅するためではない。

 


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2016-12-3ダリ展を国立新美術館へ観に行く [日記・雑感]

 20161203satDSCN3147.JPG昨日は、気になっていたダリ展を国立新美術館へ見に行った。当初の予定では先週だったのだが、体調が今ひとつよくないので無理をせずに、一週間遅らせたのだった。しかし、新日曜美術館で紹介されていたので嫌な予感がしたが、違わず、大変な人出だった。天気予報も土曜日は行楽日和になり翌日日曜日は雨模様になるだろうという予想をしていたので、その影響もあったのではないか。60分待ちという掲示もあったが、今更引き返すのも悔しいと思い、入場券を買ってからは小腸のように曲がりくねった列の中で、ひたすら入場できるのを待った。
 感想としては、自分が好きな作品は展示していなかったので、満足度は高くない。それでも、ダリらしい作品もあったので、そこそこ楽しむことができた。若き日のキュビスム時代の作品は、ダリらしさはなく、やはりシュルレアリスムの時代になってダリらしさが花開く。
 戦後には『ビキニの三つのスフィンクス』という三つの後頭部が遠近で並んだ絵があるが、原子爆弾、水素爆弾、あるいは中間子など、二十世紀最先端の科学や技術が齎した技術や発見には敏感だった様子だ。
 左の絵はチラシの印刷の写真を撮ったものだが、『謎めいた要素のある風景』(1934年)で、30歳の頃の作品。とてもダリらしく、色彩も構図も魅力的だ。
 短編映画『アンダルシアの犬』も上映されていたので、観る。眼球や蟻の場面が衝撃的だが、最後の砂に埋まる男女が象徴的でとても好きだ。
 『黄金時代』も上映していたが、63分なので、止めた。
 2003年に発表されたウォルト・ディズニーパリ・スタジオが作った『デスティノDestino』(6分)は短いので観た。この作品は既にfacebookでも紹介されていたので観たことがあったが、改めてより大きな画面で観て感動を新たにした。Walt DisneyとSalvador Daliの共同制作として1945年に着想され、経済的な理由から58年間お蔵入りになっていたものを、1999年に"Fantasia 2000"を制作中のWaltの甥Roy Disneyが再発見して完成することにして出来上がった作品である。ダリの絵画が随所に引用されている。楽しく、幻想的で、超現実主義的なアニメーションである。ここに紹介してある絵に似ている色彩、構図も出てくる。
 ダリについては、その題名がとてもシュルレアリストの詩人風だと思う。『海の皮膚を引き上げるヘラクレスがクピドをめざめさせようとしているヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む』(1963)、『チェロに残酷な攻撃を加えるベッドと二つのないとテーブル』(1983)。そういうところがとても個性的で、魅力的である。
20161203DSCN3146.JPG 

 ところで、左のもう一枚の絵は、昨日朝手遊びに描いた絵。長らく使わないで放ってあるボールペンのインキを固まってしまう前に少しでも使おうとおもって線を引く。少し、浮世絵を意識し、北斎も意識し赤富士を入れてみる。特に題名はないが、あえてつければ『知らざあ言って聞かせやしょう、あたいの名前はお富さん或いは赤富士と後姿の時雨れてゆく黒猫』


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